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彼が向かう先は一つしかない。
多くの家では人が集まるであろう居間にですら香るテレピンやベンゼンも、口下手で交友関係の少ない私の元を訪れる客人は少ないが、いざという時には客間や床の間を使えばいいこと。
それでも本来ならば、食事や団欒の場所に臭いが漏れることを避け、居間と襖を隔てた続きの部屋を使うことは避けたいところではあったのだが、そこは譲れない理由があった。
一歩足を踏み入れると、ただでさえ狭い場所だというのに、更に所狭しと置かれている書物や画材道具に描きかけの絵。
障子のすぐ前にはイーゼルに立て掛けられた一枚のキャンバス。
顎に手をやり、口元を緩めてそこに描かれている絵を眺めている男に向かって、「どうですか?」と尋ねながら窓に面した障子を開ける。
こじんまりとはしているが、毎日手入れを怠らず、綺麗に保たれた庭が目に飛び込んでくる。
旅行先やテレビで見る絶景なんかよりも、これこそが私の思う最高の景観。
安らげる癒しの景色であり、この庭を常に目にすることの出来る場所だからこそ、ここを大事な作業場にしたのだ。
足元には一緒に着いて来たのであろう。
タマがひっきりなしに私の脛を引っ掻いていた。
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