第1章

2/10
21人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
 こんなはずではなかった。少なくとも、彼女が思い描いていた高校生活と、目の前に広がる光景とは、同じところが一つも見当たららない。  戸村知子は根っからの漫画好きである。学園ものの少女、少年漫画が特にお気に入りだった。 私もいつか、こんな学校生活を送るのだろう。友達や恋人がいて、楽しいことがいっぱいあって、辛いことはほんの少し。子供が夢を描くように、知子は未来の青春に思いを馳せていた。 いざ、自分が高校生になってみると、知子の空想はあっけなく散ってしまった。恋人どころか友達もいない。学校にいる間に楽しいことは一つもない。辛い事だらけの高校生活が、彼女にとっての現実だった。 現に今も、一人ぼっちで過ごしている。肩を縮めたくなるような狭いトイレの個室で、床のタイルも常時冷たくなるような薄暗い場所で、弁当を広げていた。 お母さんが作ってくれた弁当から漂う冷めた香りも、場所のせいか臭気のように鼻をつんと刺し、知子の食欲を減滅させている。それでも知子は、少しずつ無理やりに口へ詰め込み、喉に流し、胃に落とし込んだ。 「あいつ、ここにいんの?」  個室の外から、声が聞こえた。声は知子の一人寂しさを紛らわせるものではない。  知子は顔を青くし、弁当箱のふたをそっと閉じる。外には出たくない。食欲もない。かといって、弁当の中身を台無しにされたら堪らない。汚物を流し込むような思いを、もうしたくはなかった。  ぺたんぺたんと、学校指定のサンダルを履いた足音が次々と聞こえてくる。それらは知子のいる個室の前に集まって来た。  外の様子を想像するだけでも知子は身を震わせる。次に耳にした、蛇口を目いっぱいに開き、水をバケツに貯める音は、これから迫る嫌な出来事を知子に予感させた。体を丸め、弁当箱を抱え込み、知子は息を潜める。  もしかしたら、今日は気が変わるかもしれない。ほんのわずかな可能性だが、藁にでもすがる気持ちで、願い続けた。  彼女の願いは無意味だった。せーのっ、という掛け声と共に、戸と天井の隙間から、綺麗な放物線を描いて、水の塊が頭上から降り注いでくる。知子は目を瞑った。冷たい。注がれた水は知子の頭、肩、背中、お尻、足先を濡らす。だが、弁当箱は濡れていなかった。  丸めた背を元に戻し、知子は瞼を上げる。目を開けると、そこにはまるで元から弁当箱の一つの模様だったかのように、一滴の雫が落ちていた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!