第1章

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 それはさらに、一滴、また一滴と増えていく。濡れた髪から滴り落ちているのではないと知子は気付いた。ぽたぽたと数を増して行き、やがて周りと結合して、小さな水たまりを作る。知子は、それを防ぐ手だてが思いつかず、ただただ下唇を噛みしめていた。。  個室の外でどっと大きな笑い声があがった。個室では声を押し殺してもなお抑えられない小さな嗚咽が零れ、個室の戸と壁のわずかな隙間から、漏れ出ていく。  外の女たちは、それを聞いて爆発的に笑う。知子の胸の内が、きゅう、と締め付けられる。どうして私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの? 寒い。辛い。苦しい。悲しい。 疑問や訴えは言葉にならず、ただただ、喉を絞られているような嗚咽を零すばかりだった。  知子はいじめを受けていた。理由などない。いじめをしている相手には、意図も全く存在しないだろう。  しかし、なぜ、と言う疑問は常々知子の頭を付きまとった。犬のフンに集るハエの如く耳触りだが、払うことは叶わない。考えずにはいられないのだ。  授業中もずっと考えていた。先生のしわがれた声は右耳から左耳へ通り抜ける。集中して考えていたが、先生の声の中にくすくすと笑う女子の声が混ざり、一瞬止まった。  知子は自分が笑われていると確信する。例えその声が違っていても、知子は疑うことができなかった。  一人になりたい。誰かがいれば、必ず自分は笑われる。そのせいで、自分はいつまでもなぜ、なぜ、と自問自答を繰り返す。そのせいで、自分はいつまでも苦しみ続ける。弱音を吐ける相手がいない以上、自分の安息は、静寂にあるのだと知子は信じていた。  昼休みになっても、知子の居場所は教室にはない。教室はおろか、三階建ての校舎のトイレを全て回ったが、全部違った。毎回場所を変えるが、探し出されて、頭と肩と、目を濡らされてしまう。  彼女は自然と、まだ行った事のない場所へと足を進めた。行ける場所は二つ。校舎の一階から地続きの体育館と、離れにある旧体育館、それらのトイレだ。  知子は無意識のうちに下駄箱へ赴き、靴を変えた。旧体育館のトイレへ行こう。そこなら、見つけ出される心配はない。そもそも休憩時間にも人は滅多に来ないから、初めからそこを選んでおけば良かったかもしれない。靴を変えて外に出た彼女の姿は、日に当たっているのに、日陰にいるように暗かった。
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