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遠い昔。とある同胞が残した言葉に、こんなものがある。
「吾輩は猫である。名前はまだない」
少なくとも私が知る中で、同胞が人類に発信した言葉で最も有名なものだ。私は彼を心の師として仰いでいる。
多くの人類がその書き出しを知っていて、今日も多くの子供たちがその一文に初めて出会っている。同じ種として、これほどまでに鼻が高いものはない。
師は、野良に生きる生命であった。己の存在証明は名前にはなく、己という存在そのものが生きていることの証明であった。
かつての私も名前を必要としない暮らしに憧れていたものだが、現実はそうもいかなかった。現に、私と太陽は一枚のガラスを隔てている。
白々しく明くる陽の光にあくびをふかし、三角形の頂点を水平移動させるような背伸びを繰り返した。一晩丸まっていた箇所は、自分の体温で暖かかった。
横たわる主人はまだ寝ている。
私は彼女を嫌っている。
いや、恨んでいる。
どうして、私を飼おうと思ったのだ。
枕横の目覚まし時計に目をやると、黄色のデジタル文字はAM7時を表示した。
主人の首筋に光るランプは赤から緑色に変色し、彼女の体の中で、数か所のモーターが回りだす音がした。
シャッターが開くように瞼が開き、音もなく上体が持ち上がる。小麦色のセミロングヘア―は陽光を反射し、薄く光るドレスをまとっていた。
琥珀色の肌は触れても温度はなく、腕には接合面跡の線が走っている。首を回し、私を視界にとらえると、する必要もないのに瞼をこすった。
「おはよう。猫H7型1115M」
私の名前は猫H7型1115M。そして彼女はアンドロイド。
師よ。あなたはこの名を貰っても喜びますか?
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