カテジナ・ルース(機動戦士Vガンダム)

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さて、前ページでは基本的にカテジナがどういうキャラクターなのかという事と、あらすじを交えた紹介を書かせていただいた。 なのでここからはカテジナについて更に掘り下げ、考察等を交えながら書いていきたいと思う。 このカテジナというキャラクター。共感出来るかどうかははっきり言ってかなり個人差があるのではないかと思う。カテジナ役の渡辺久美子氏なんかははっきりと「あまり共感出来なかった」と語っており、昔HPにて「T野マジック恐るべし。後にも先にもこんな悪い役演じた事ありません(笑)」と紹介していたくらいだ。 上記HPの頃にはまだ冗談ぽく書けるようだったが、渡辺久美子氏は一時期はカテジナを演じていた事をあまり触れて欲しくなかったほど嫌だったらしく、個人的にはアニメ本編での演技が一番「振り切っていた」ように感じる。 おそらく、「Vガンダム」をあまり知らない方、動画サイト等でカテジナの悪行を編集した動画等のみ知る方であるほどカテジナというキャラクターは「ただの裏切りキチガイ悪女」と見なされてしまうと思う。実際私も昔は「なんだこの女は」と思っていたし、ゲーム作品でも一部分しか抜き取られないためカテジナの全貌を知るのははっきり言ってアニメ本編を見込まないと難しいのではないかと思う。 そんなカテジナだが、果たして本当にただの悪女であると切り捨てれるのだろうか?彼女視点でストーリーを追った場合、本当に単なるキチガイで済ませる事が出来るだろうか。私は「NO」だと思う。 そもそもカテジナはウーイッグ特別区に住む特権階級の令嬢であり、まだ17歳である。金狂いの父と色狂いの母とその二人の娘でしか無い自分に対して苛立ち葛藤する複雑な家庭環境におり(ガンダム主人公ではカミーユ・ビダンに近いのではないかと思う)カテジナに憧れるウッソとのメールのやり取り等をして気を紛らわせてたのだ。 そんなある日、マリア主義を掲げるザンスカール帝国によりウーイッグは空爆を受け壊滅。このマリア主義というのはいわば男性主導の社会に対して警鐘を鳴らして母系社会の成立を提唱するものである。ギロチンを使ったり地球クリーン作戦(巨大なロードローラー付き戦艦で地上の街を踏み潰して回る)を実行したり等非常に極端で判りやすい真っ直ぐな思想でもある。 そしてウーイッグ空爆に際してカテジナの父は事前にザンスカールと裏取引を行い、自分と娘だけは助かるように目論んでいた。しかしまだ真人間だった彼女はこれを下劣と断じて拒絶。この時ウッソに救出されレジスタンス組織であるリガ・ミリティアに保護されるが、この空爆でカテジナは故郷と両親を失う(生死は不明だが)…が、むしろ彼女はせいせいした様子だった。カテジナにとってウーイッグも両親も自分を縛る牢屋みたいな物で、いずれは自由に捨て去りたい醜さの一部だったのではないだろうか。 そして成り行きから身を置く事になったリガ・ミリティアだが、カテジナにとってこれが軽蔑する組織であった。軍属でも無い13歳の少年であるウッソを「モビルスーツの操縦技術が極めて高い」という理由だけで味方に引き込み、才能を持ち上げて戦争の道具として使おうとしていたからだ。はっきり言ってどんな理念があろうとこれは腐っていると言えるだろう。カテジナはこれについて老人達にはっきりと物申したが、彼女は正規軍では無い者が守りたい何かの為に立ち上がる事を責めたのではないのだ。民間人の子供の心を利用して自分達の武器にしようとするやり方に怒ったのである。 カテジナにとってリガ・ミリティアでの生活は決して心地よいものではなかった。「敵が襲って来るから応戦しなくてはならない」…老人達はこう言って、毎回ウッソを戦わせる。ザンスカール帝国に対して戦う!と宣告しておき、結局は子供に戦争させるのだ。果たしてこんな連中を尊敬出来るものだろうか? そしてカテジナにいよいよ転機が訪れる。ザンスカールの女王マリアの弟であるクロノクルがアジトに潜入し、レジスタンスの首謀者を拉致。カテジナも一緒に連行されるが、クロノクルはカテジナを下衆な目で見る事なく(とある兵士はカテジナに手を出そうとしてクロノクルに止められている)民間人として手厚く保護してくれたのだ。 クロノクルは優しさも誠実さも持ち合わせた紳士的な男であり、彼は自分に対して勝手な幻想を押し付けてくるウッソと違ってちゃんとカテジナ自身を見つめてくれた。理想家であるカテジナにとってはまさに理想的な相手であり、自然な流れで恋に落ちたのだ。 ところがカテジナはやがて気付いてしまう。クロノクルは確かに優しく誠実かもしれない。それこそ平和な世の中であれば恋愛対象として完璧だろう。だが、彼ははっきり言ってパイロットとしては実力不足で優柔不断なところがあり、戦時下のパートナーとして頼りないところがあったのだ。 逆に、天才的な戦闘技量を持ちながらもカテジナに対して勝手な憧れを押し付けてくる恋愛対象としては失格のウッソ。この二人はまさに対照的であった。 そこでおそらくカテジナは(クロノクルの役に立ちたいという気持ちもあっただろうが)クロノクルが頼りないなら自分が補うべきと考え、自らも兵士として戦場に出る決意をしたのではないだろうか? そしてカテジナはメキメキと力をつけていく。お嬢様育ちで何の戦闘訓練も受けてこなかった筈だが、その才能は確かである。基本的に迷いがない戦い方なのもプラスに働いていたのだろう。 更には戦術眼も磨いていたようで、クロノクルの副官として彼をリードしていたシーンもあった。彼女はむしろクロノクルを一人前に育て上げようとしていたのだ。 「(そうだよ…!そそっかしさではなく真の強さを私に見せて欲しいのよ!)」 作中でのこの台詞からもそれが見てとれる。 …しかしカテジナが強くなればなる程、自分以上の戦闘力を持つウッソが無視出来ない存在になってゆく。もしウッソがクロノクルのような大人なら…?もしくはクロノクルにウッソの強さがあったなら…?カテジナはおそらく多大なストレスを抱きながら戦い続けた事だろう。 そんなウッソはカテジナの前に現れてはその毎にカテジナにとって鬱陶しい言葉を吐いてくる。 「ウーイッグのカテジナさんの言う台詞じゃないですよ!あなたは家の二階で物思いに耽ったり、盗み撮りする僕を馬鹿にしていてくれれば良かったんですよ!」 「…男の子のロマンスに、なんで私が付き合わなければならないの!」 作中にこんな会話があるが、ウッソが勝手に憧れたカテジナ像など本人にしてみれば迷惑でしかないのだ。ウーイッグ時代のカテジナなど本人にしてみれば満たされない気持ちに塗れた決別したい過去でしかないのだから。 そして終盤。有名な「水着のお姉さん」作戦であるが、確かに卑怯で気が狂ったような作戦である事は否定出来ない。だがこの作戦、決して女性兵士達を犬死にさせたわけではないし、ちゃんとウッソに精神的負荷を与えているのは確かなのだ。 V2ガンダムに乗り、力をつけていくウッソは特に後半になるほど苦戦する場面は少ない。ぶっちゃけタイマンでウッソを死の直前まで追い詰めれたキャラクターはファラ・グリフォンしかいないし、この近衛兵団の女性パイロット達が仮に機体に乗って束になってウッソに挑んだところで果たして勝てるのだろうか。ましてやこの時はV2アサルトバスターの状態なのだ。どう考えても普通に挑んではまとめて返り討ちにあうのがオチで、ダメージすら与えられなかったはず。 しかしカテジナの作戦で彼女らはV2のパーツやアーマーを破壊する事に成功している。 カテジナにとっては第一に自身の信条。第二にクロノクルの誇りなのだ。散っていた水着部隊であるが、民間人でなくやがてV2と戦って無駄に散っていたかもしれない命に体を張らせたという事…勿論、正しい考え方であるかどうかは受け取り手次第かもしれないが。 そして水着部隊を全滅させた直後、怒りに燃えたウッソはカテジナを初めて本気で殺そうとする。カテジナにとってウッソは確かに鬱陶しく邪魔なガキかもしれないが、同時に彼の強さには心惹かれていたのではないだろうか。 自分がどんな仕打ちを向けたとしても、自分の事を好きである事実は変わらない。最強のウッソが自分を好きという妙な優越感。…だがそんな彼が戦いの中でその想いを振り切ってしまった。カテジナはクロノクルを愛している…しかしやはり脆弱なクロノクルだけでは満たされない部分が存在して、その心の隙間を最強のウッソに想われているという事実で埋めていたのである。 「私を殺そうとした…!?幻を振り切って、私の事まで振り切ったか…。フフ…アハハハハハハハ!」 ウッソのビームサーベルから逃れた後。悲しそうに笑う彼女の表情には何とも言い難い寂しさを感じるのは私だけではないと思う。 そしてその後、ウッソは生身の状態でゴトラタンに乗るカテジナと相対する。カテジナは「私はクロノクルという巣を見つけたんだ。なのにおまえとシャクティはそれを笑った!チビのくせに!」と言い放つ。無論、ウッソ達は笑ってなどいない。だがカテジナにとってこの期に及んで「ウーイッグのカテジナさんが」などといつまでも幻想に縋るウッソが最強である事は許し難い事なのだ(シャクティに対しては女王マリアの娘と判明し、大事にされていた。そしてウッソ達もチヤホヤしていた。それに虫唾が走っていたのは間違いない)。 だからこそまだウーイッグのカテジナという幻想をぶつけてくるウッソに「クロノクルは私に優しかったんだ!」と返したのだろう。 そしてウッソは「だったら僕のようなチビは放っておけば良かったんです」と返すが、無論そんな事出来るはずがない。無視できない程の強さ、輝きを持っているのだから。 そしてそんな自覚を持たないウッソを許せないカテジナはV2に乗り込むウッソを狙撃しようとしなかった。彼女の腕なら出来たはずだ。だが、彼女はあえて自ら生身のウッソを蹴散らす事もなく、叫ぶ… 「クロノクル!来い!」 …と。 前述の通りカテジナにとってウッソは最大の障害であると同時に、敬意の対象だった。だからこそクロノクルにウッソを倒させたかったのだ。ウッソより強い者でなければウッソという存在を自分の中から消し去る事が出来ないから。その為には生身のウッソを自分が殺すのでは無く、対等な条件においてクロノクルが彼を倒さなければならなかったのである。 だが、勿論クロノクルのような凡才がウッソに勝てる訳もなく、クロノクルは戦死していく。カテジナではなく姉の名を呼びながら… クロノクルの死後、カテジナは女の武器を使ってウッソに迫る。有名な『抱きついてナイフで刺す作戦』だ。カテジナはウッソを油断させ、ナイフを突き刺す。 しかし、なぜわざわざ富野由悠季監督はこんな場面を入れたのか?それはカテジナにとってのルールが変わったという事を表現するためではないかと思う。クロノクルが死んだならもはやカテジナにとっては戦争などどうでもいいのだ。どちらが勝とうが、自分が生き延びようが…それはあくまでクロノクルがこだわっていたものであるからこそ、自分もこだわっていたに過ぎないのだから。 だが!ウッソだけは生かしておくわけにはいかなくなった。そして、自分もまた死ぬつもりでいたのではないだろうか? カテジナはV2ガンダムを狙い、ライフルを放つ。外しはしたが、この時カテジナは「クロノクル!白いヤツを手向けにしてやる!そしたら…」と言っていた。「白いヤツ」という言い方はカテジナではなくクロノクルが使っていたガンダムの呼び名である。それはおそらく、無意識に出てしまった弔いの言葉なのだろう。 そして、「そしたら…」の方はどうだろうか。あくまで予想に過ぎないが、死ぬつもりでいたのなら「私も行く」とかだったのかもしれない。 結局、カテジナは視力を失って故郷に戻る。道に迷って、嫌っていたはずのウーイッグへ… たまに彼女が記憶を失ったと判断している方もいるが、私はそうは思わない。まず、記憶を失っていたならウーイッグを目指していたのは少し不自然だろう。そして何より、偶然話しかけたシャクティと共に居たカルルマンの名前を聞き、カテジナは自分が話しかけた相手がシャクティであると気付いてしまった。雪が降り出し、シャクティが自分の近くに来た時、カテジナはまるで誤魔化すように「雪が降るとわけもなく悲しくなりません?」と言ったのだ。その声の震えとその後人知れず流した涙は、自分が誰に頼み事をしてしまったか悟った事を意味するのではないだろうか。そして、記憶を失っていたのならこんな事は起こりえないと思うのだ。 共に今を生きる事を望んだクロノクルは死に、故郷であり過去であるウーイッグは戻ったとしても焼け野原。視力を失っては出来る事も限られるだろう。 しかしカテジナはなぜか死を選ぶ事をしないで、生き続けていた。そしてわざわざ嫌っていた故郷に向かっていた。終盤、死ぬつもりでいたかもしれないのに、だ。 カテジナは最後まで自分の信念を曲げなかった。ゆえに自分自身が進んだ道が犠牲にしてきたものたちに対しての感情も曲げる事はできなかったのだ。おそらく結果的に死なせてしまったクロノクルと、殺してきた人々への罪の意識は間違いなく持っていた。だからこそ死ねなかったのでないかと思うし、全てが終わり失った事で憑き物が落ちたのだろうと思う。そして相乗効果により、死ぬ意志すらも失ったのかもしれない。 全てを失ったものの、背負っていかなくてはならないものが出来たカテジナは結局、捨てたがっていた故郷に戻り、暮らしていく事を決めた。正解がどの説かは私にもハッキリと分からないが、その事実だけでもカテジナはただのおかしい悪女キャラの一言だけでは終わらせる事が出来ない人なのだ。 35ab35ff-a96f-40d4-9882-90136ec9aa4f
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