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さて、シャアのちょっと情けない部分について書いてみたが、1stからZガンダムまではやはり徐々にメッキが剥がれてからそういった部分が定着するまでを語る事になってしまった。
そうなってくると満を持して劇場版『逆襲のシャア』について語らなければなるまい。この作品こそシャアの最後の大舞台であり、再びアムロの敵となった事で決着がついた作品なのだ。
ネオ・ジオンの総帥として地球にアクシズ(ようは巨大な隕石と考えればOK)を落とし、地球環境を顧みない人々に罰を与えようと企むシャア。それを主人公アムロの所属するロンド・ベルが阻止しようという作品だ。
誰よりも地球の事、そして人類の未来を考えるシャアだからこそ断腸の思いで地球に巣食う者達を排除しようと考える。
まさにそれは悪役でありながら、自然と人類の未来を一番に考えるダークヒーローの所存!
憎みきれぬ敵役のカッコ良さ全開の思想と行動────と言いたいところだったのだが、実を言うと『逆襲のシャア』こそが最もシャアが情けなく見える、小さい男(シャアは私は小さい男かとナナイに訊ねたが、小さい男だよ)に見える作品だと私は考える。
作中においてシャアを取り巻く人々の中でこんな発言がある。
「大佐はあのアムロを見返したいが為に今度の作戦を思いついたのでしょう?」
「ララァをアムロにとられたから大佐はこの戦争を始めたんだぞ!」
そう、シャアは相変わらず総帥らしくしようとカッコつけてはいるのだが、周りからは言われたい放題なのだ。
また、シャアに惚れたクェスに惚れ込んだギュネイはシャアを貶してこんな発言でクェスの気を引こうとする。
「けど大佐は、総帥らしく見せるためにナナイなんかとも付きあってさぁ。ロリコンじゃないかって、ニュータイプ研究所の連中はみんな知ってるんだぜ?」
この場面は正直ギュネイも人の事を言えない(ギュネイが18歳でクェスが13歳なので)のだが、小説版においてはレズンの他ネオ・ジオンの一般兵ですらこういった共通認識があるそうだ。
これが基本的には視聴者にネタにされやすいのだがしかし、これはぶっちゃけ劇中のシャアを見ると事実に近いため、つい気付けばシャアをそんな目で見るようになっていってしまうのだ。
これこそが富野監督がシャアを媒介にかけてきた「富野マジック」といったところか。
アムロと対峙した際も、逆シャアにおいてのシャアはそれまでと違ってあまりカッコつけすぎずに本音で喋っている場合が多く、私としてはむしろ「今回のシャアはすごくぶっちゃけてる!」とつい注目してしまった。
特に最後の台詞である「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!そのララァを殺したお前に言えた事か!」は、1stから続けた視聴者からすればついにシャアが一番隠していた本音を放ったシーンである。一見意味がわからないとこも含め、考えさせられる場面だと私は思う。
結局、シャアはアムロを苦戦はさせたものの、あまりダメージを与えられずに負けてしまった印象が強い。
個人的にはもっと反撃して欲しかったが、あくまでシャアはアムロに敵わないという事。シャアにとってのアムロはあらゆる意味でずっとコンプレックスだったと考えると仕方がないのかなと思う。
きっと、シャアがサザビーから脱出ポッドで脱出したものの、アムロのνガンダムにその脱出ポッドが掴まれ、アクシズをそのまま押すシーンで妙にもの哀しくなったのは私だけじゃないと信じたい。
そんなわけで、シャアは決して完全無欠ではないダサい大人である。だが、私がそうであるようにファンはシャアがただカッコイイから好きになったわけではないと考えている。
むしろカッコイイと思ったら内面的にダメンズなギャップに惚れ込んだのではないだろうか?
強さ的にも決して最強ではないあたり、シャアはむしろコンプレックスがある方にはなんとも言えない魅力あるキャラクターに映るのではないかと思えてならないのだ。
さて、シャアについて熱く語ってみました。いかがだったでしょうか?
こんな紹介文を書いておいて今更こんな事書くのもなんですが、私はシャア・アズナブルが大好きです。
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