52人が本棚に入れています
本棚に追加
「悟」
階段を上がってくる足音。
軋む身体をゆっくりと起こした。
こんな姿、真人には見せれない。
真人は口は悪いけど、根がやさしいのはよく知っている。
些細なことで喧嘩はするけど、でもそれは、なんでもいい合える仲だからこそだ。
だけど、いえない。
だから、いえない。
「悟?いるのか?」
ドアの前で、真人が中を窺う。
濡れた頬を拭って、精一杯の笑顔をつくった。
いま、自分にできること・・・・。
「悟?」
「・・・・いるよ」
小さく呟いた声は真人に届いたらしい。
「どうかしたのか?」
泣いたせいでいつもと声が違う自分に、真人が神妙な声で訊いてくる。
「なんでもないよ。ただ、ちょっと具合悪いだけ・・・・」
顔は見えないけれど、それでも、笑顔をつくった。
濡れてべたべたの頬と、とめどなく溢れる涙。
震える唇をキュッと噛み締めた。
「具合って・・・・開けるぞ」
「大丈夫だから!」
いま、ドアを開けられるわけにはいかない。
真人と顔をあわせるわけにはいかない。
もっと、ちゃんと、ちゃんと、笑ってるときじゃないと・・・・。
その声に、ドアノブに手をかけたらしい真人の動きが止まった。
「大丈夫だから・・・・ちょっと寝れば治ると思うし、だから・・・・大丈夫」
「・・・・」
しばしの沈黙のあと、真人は「わかった」と、呟いた。
「・・・・じゃあ、ちゃんと寝ろよ」
「うん」
それだけいって、真人が階段を降りていく。
玄関が閉まる音だけが、やけに大きく感じられた。
痛い。痛い。
すべてが、痛い。
『笑いなさい』
大好きだった先生がいってた。
『笑って』
大好きな智紘がいってた。
笑わなきゃ。
笑わなきゃ。
濡れた頬を両手で持ち上げる。
笑顔をつくるように。
でも、溢れてくる涙のせいで、手が滑って、うまくできない。
何度も、何度も、繰り返して、それでも、できない。
「うー・・・・」
両手で顔を覆って、そのままシーツに擦りつけた。
「こんなんじゃ・・・・笑えないよぉ・・・・」
身体が痛い。
心が痛い。
胸が痛い。
すべてが、痛くて、張り裂けそうだ。
最初のコメントを投稿しよう!