狙撃手

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霧がまとわりつく。手を顔の前まで上げ握ったり開いたりしてみたが、それすらも微かにしか視認することができず、まるで真っ白な暗闇の中にいるかのように何も見えなかった。右手首に巻き付けている小型のGPSを目に近づけるが、数字を読み取る事もできない。 霧というよりも、まるで霧状になった油の中にでもいるような気分だった。嫌らしく全身にしみ込んでくるそれは、心地よさなど微塵もない不快感の塊だ。振り払おうとするが、動かそうとする両腕すらが鉛のように重い。 人の気配はなかった。駐屯地を出てから常に一緒だった奴のものも含めて。 低い声で名を呼ぶ。2度、3度と名を呼んだ。しかし返事はない。 少しだけ声量を上げる。だが何となく分かっていた。返事はないだろうと。 その通りだった。舌を打ち、襟のマイクスイッチを押し無線で呼びかける。だが耳に入るのは不快なノイズだけ。手探りでアンテナの位置を変えたり送信出力を変えたりといったことを何度も繰り返すが結果は同じだ。 電波の届かない距離にまで離れてしまったか、無線機が故障したか、もしくは剣崎が無線をとれない状況にあるか、いずれにせよ今すぐ連絡を取るのは無理なように思えた。 背中には官品の背のうよりも少し小ぶりなアサルトバッグ。腰の弾帯にはたった今使った小型の無線機、拳銃、弾倉、ナイフ、狙撃銃の弾と小物が入ったポーチ。そして手には陸士時代から使用してきたアメリカ製の狙撃用ライフル。 それぞれを手で触れ、何一つ欠けていないことを確認した。目だけではなく触れて装備品の異常の有無を確かめるという一連の動作は、頭で考えずとも体が勝手に動いてくれる。 集落を離れた瞬間とすべて同じ、何も変わっていない。だが剣崎の姿だけがどこにもなかった。
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