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結局自分は、葬式の時にも泣くことはなく、その身体が焼かれる時も、焼かれた後も、何の反応もなく終わってしまった。焼かれた後の姿や匂いには、眉間にシワを寄せてしまうような自分はやはり親不孝ものかもしれない。それぞれの祖母達は実の娘と息子のかつての姿を拾う際には手が震えていたのに。その娘と息子の子どもは、なんの反応もない。おそらく都合のいいように考えてくれているのだろうが、なんの実感もなければ反応をすることもできなかったのが現実だ。かつての姿を保っていたものを多くの人がいる中でこっそり直に触れば案の定火傷をした。まるで、両親のどちらかが自分の行いを罰しているかのような痛さだった。あの時はその痛さに涙が出て、思わずその場から抜け出して手洗いで只管水を手に浸した。その痛さは未だ掌に跡を残している。時期にこの跡も消えて、数年も経てばこのよくわからない感情も消え失せるのだろう。いっそ跡でも残れば、葬式の様子をいつでも思い出すことが出来るのではと馬鹿な考えも浮かんだがそれはすぐに消えた。自分に自傷行為をするような度胸や考えはないのだから。生前母も言っていた。そんなことをしても何も変わらない。自分で自分を傷つけて何が楽しいの。誰も痛みをわかってあげられるわけではないのだから無意味だ、と。自分的にはこれは正論だと思った。生前父も言っていた。馬鹿な考えを持つのはやめろと。これはあまり共感できなかった。それは父が論理的且つ現実的な人間だったからかもしれない。無難に就職をし、無難に結婚をして、子供を授かって、子供は自分の考えたレールの上を歩いて完成形へ。それが自分だ。大学も誰でも知っているところへ通い、誰でも知っている会社に就職した。だが、それも、長くは続かなかった。子が親離れをする時。レールから外れる時が来たのだ。右と左を選ぶ際に、父のレールである右ではなく左へ。これが今の自分だ。でも、それに対してはもう少し頑張れとは言わず、好きなように生きればいいと言われた。そんなことを言われたのは恐らく初めてだ。あの時がレールの切り替わりの日だったのだと思う。ああなんだ。
どうやら自分は、両親のことが思いの外好きだったらしい。
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