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夜。
栗柄は昼間とは違う顔を覗かせる。
長尾峠に近い立地、そして頂上の広い駐車場が災いしてか、この地は数十年前から、二輪・四輪を問わず、走り屋たちの訪れるスポットと化していた。
群れを組み走る者。一匹狼で孤独に自らの走りを磨く者。
そのスタイルは様々だが、全員が目標としているある記録が存在する。
――四分フラット。
これはかつてこの峠で最速と呼ばれた、ミッドナイトブルーのR32GT-Rが遺したタイムであり、未だに誰も破れた者はいない、絶対的なレコード。
既にこの地を去った者がこの地に刻み込んだ、忌々しき最速の称号。
この記録が存在し続ける限り、誰もこの地の最速になることは叶わない。
『最速』と言う言葉がそもそも陳腐で幼稚な称号だと言う者もいる。そして最速伝説などフカシだと、吐き捨てるように放つ。
しかし誰もが知っている。この記録は真実であり、絶対なのだと。
栗柄の地を走る者一人一人に刻まれた、敗者が受ける隷属の印なのだと。
走り屋たちは自分たちを縛る、呪われた最速伝説が破られることを望んだ。
ある者はテクニックを磨き、その記録に挑んだ。
ある者は最新のマシンをチューンし、時代の流れでそれを打ち破ろうとした。
しかし、駄目だった。
全ての挑戦者がこのタイムの前に打ち砕かれ、中には愛車を潰した者や再起不能になった者もいる。
敗者の嘆きは峠の走り屋たちに仲間意識を与え、皆がこの目標を持つことでこの地特有の一体感を生み出した。
怒り、憎しみ、嫉妬、羨望、畏怖――ありとあらゆる感情が混ざり合い、溶けてゆく。
『フラットアウト』
いつしか走り屋たちは、この記録を打ち破るチャレンジをそう呼び始めた。
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