プロローグ

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 きっかけは些細なことだった。    家族と喧嘩して、ちょっと心配をさせてやりたくて。    あの夜、私はそんな理由で家を出た。    目的もなければ、頼れる場所もない。ただかまって欲しかった。  ――すぐに捕まると怒られる。そんな幼稚な考えから、私は遠くに行こうと決めた。    漠然とした思考で、買ってもらったばかりの自転車を走らせる。フロントフェンダーには名前、リアフェンダーには学校の駐車証。これが大人に見つかれば、私はすぐに親の下に連れ戻されるだろう。もしかすれば、学校にも連絡されて、先生にも叱られるかもしれない。  それだけは避けなければ。そう考えた私は、人のいそうな場所を避け、町外れの山に行こうと決めた。    『栗柄峠』。  金太郎伝説にちなんで名付けられたこの地は、私にとっては小さい頃から通い慣れた場所であり、夜のあそこなら大人はいないだろうと思ったのだ。    ――もっとも、中学生の知る世界などちっぽけで、世の中には私の知らないものが多々あること、そして、『栗柄』と言う地には裏の顔があることを、この夜、私は思い知ることになるのだが。    自転車を三十分ほどこぎ、栗柄峠サイクリングロードの入口にたどり着く。  観光客の車と地元住人の事故を避けるために作られたこの道も、深夜ともなると不気味なほど暗く、その景色を前に、私は胸にこみ上げる後悔の念、そして恐怖心を抑えようと、心の中で自分を鼓舞する。  どうした、いつも来ている場所だろう。ここがそんなに怖いのか。  震える脚を進ませようと念じた言葉は、自分でも意識しないうちに消えそうな声となり、夜の闇に吸い込まれていく。    頼りないヘッドライトの灯り、それだけが照らす道をゆっくりと、ゆっくりと登っていく。  前も後ろも闇だけが支配し、視界などほとんどない。  月灯りは木々に覆い隠され、かすかな光すら私を照らしてはくれなかった。    誰かいないのか。誰でもいいから助けて欲しい。  闇の中でいつしか、私は歩みを止め、情けなく泣き出していた。  恐怖心が思考を支配し、頭にコンクリートでも詰められたかのように、思考力を奪ってゆく。  もはや進むことも戻ることもできやしない。足は鉛のように固まり、それを動かそうとする意志すら消え去ろうとしている。
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