第1章

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平和主義者の間違い この題名だけでも、非難が殺到しそうですが書きます。 平和主義=戦争否定=暴力完全否定として読んで頂きたいと思います。 昭和22年1月生まれの俺の親の世代は、従軍した兵隊世代です。 この親の世代は、敗戦後に日本に戻って来たら、大きな都市は爆撃で焼け野原になっていて、空襲の機銃掃射で女子供が殺され、兄弟や友人知人も戦場で亡くなったという体験をしています。 この精神的ショックは、体験の無い我々には理解出来ない事であり、悪い事には日本は神国だから負けないという信仰まで在りましたから、大なり小なり急性アノミー(社会的規範とか存在感の損失や欠如を伴う)に襲われたと思われます。 その中でも家族を養い生きていかなくてはなりませんから、経済的な安定を求めて働きました。 悪い事に、実際は日本が代金を支払っていたのですが、アメリカから多量の食料を輸入し(CHQの情報操作でこれは無償支援だと報道されていた。)前後の食料危機を乗り越えましたから、アメリカへの感謝の意識は高まりました。 吉田茂が評価出来ないのは、このようなアメリカ=マッカーサーの占領政策を受け入れた事です。 天皇の全国行脚=御幸も、確かに全国民を励ましたのですが、この御幸まで占領政策に利用した事も、吉田茂がその片棒を担いだ事にも、本当に腹が立つ事ですが、この為に、マッカーサーが解任されて帰国する時に、全国から感謝の手紙が数百万通も届くという騒ぎになりました。 これはアノミーの親世代にも大きな影響を与え、安保条約を容認する事と同時に、経済発展=経済大国を目標にする事になりました。 安保条約=アメリカ従属主義と経済最優先が定着した訳で、世界で一番上手くいった占領と評価されたのも、実際は言いなりだった吉田茂と、それを知りながら報道しなかったマスコミ=検閲の発行禁止が恐くて自主規制していた=の責任が大きいのです。 ただ、親世代は、平和を第一とはしましたが、戦う心を失った訳ではありませんでした。 我々が子供の頃には、喧嘩をして負けて帰ると怒った父親も居ましたし、子供の喧嘩は素手、道具を使う事は卑怯だと言われたものでした。 60年安保世代は、戦後の混乱期に学童になったり、混乱期を見ながら育った世代ですから、理想的な社会システムと言われた共産主義への傾倒もあり、反アメリカ闘争でした。
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