第1章

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あの全共闘の時代、中卒や高卒で社会に出た人間は、親に仕送りをしたりしていましたから、生活に追われていて、全共闘に批判的でもありました。 権利意識が強くなったのと比例して、損害賠償も強く意識されるようにもなり、先に手を出すと慰謝料や損害賠償だという事も知られるようになり、その結果として、生活優先派は我慢をむねとするようになり、日常生活から暴力的な出来事は、どんどん減ってきたのです。 我々の二十歳前後の頃は、地方では鍵など必要ではありませんでしたが、喧嘩は結構ありました。 現在では喧嘩も極端に減りましたが、鍵は必需品になりました。 違いの要因としては、当時は親世代も含めて、怪しい人間には注意をするし、暴力にも敢然と立ち向かう闘争心があったからでしょう。 我々の世代も、親の世代も、戦争と安保闘争という闘いに負けて、大なり小なりの急性アノミーが発生した世代です。 全共闘の闘いが終息に向かうと、暴力否定は日本全体の空気になり、もの判りの良い振りをする人間が増えました。 しかし、それはあくまでも振りであり、心理的に許している訳ではありませんから、その心理は陰にこもり、ますます自己中心になったり、他人への無関心を装ったり、陰湿な心理的イジメになったりしていると思われます。 ヤクザ屋さんの味方をする訳ではありませんが、かっては博打は現行犯逮捕が基本でした。 それが現行犯逮捕ではなくなった頃から、ヤクザ屋さんはタチが悪くなったと言われています。 現在の暴対法など、基本的に銀行口座を開設する事も、住まいを借りたりする事も制限しています。 が、これは憲法が保証する基本的人権への侵害であり、様々な言葉狩りと同じように、表向きを飾っているだけなのですが、それを差別だと思わない社会になってしまいました。 これは武の心を捨てたからでは無いのでしょうか? 武の心とは、いざというときには闘うという心であり、目に余ったら潰すという心でもあり、異端を許容するという心でもあります。 かってはストライキも盛んに行われましたが、当時は現在の派遣社員等は存在しませんでした。
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