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白い世界
雪山で滑落したらしい。
いったいどれだけの時間、気を失っていたのか。
オレはゆっくりと立ち上がった。痛みはない。幸い、どこも怪我をしてはいないらしい。
目の前にいたのは響しずかだった。
雪の中に座り込み、彼女は子供のように泣き声をあげている。
「しずか……」
オレは彼女に向かって叫んだがその声は吹雪の音に掻き消された。
オレ、音無奏と響しずかは大学時代の山岳部で知り合った。
2人とも同じ学年。サークルの山歩きを通して仲良くなり、大学卒業をしてそれぞれ別の企業に就職したあとも、オレたちの付き合いは続いた。社会人になってからも、2人でいろいろな山に登った。
2人ではじめて登った北アルプスの山。その時は途中で雪崩に遭遇しリタイアした。
今回、2回目の登頂チャレンジのために、オレたちはそれぞれの会社で有給をとり、2日前から入山していた。そしてオレは山頂上の最高のロケーションの中でプロポーズしようと決めていたのだ。
天候がかわり、突然の吹雪に見舞われて、挙句に道に迷いオレたちは遭難した。
予備日も含めて山岳会に届けをだしているので、あと数日たたないと救助はこないだろう。
しずかは座ったまま、そこから動こうとしなかった。彼女が投げ出した荷物はすでに雪に埋まり、しずかの身体も真っ白だ。
「立て!」
オレは一喝した。
「いつまでもこんなところにいたら死ぬぞ」
それでも彼女はしばらくそこに蹲り、むせび泣いていた。……疲れた……もう嫌だ……と泣き声と一緒に苦しそうな呟きが零れおちた。
「おい、一緒に帰ろうぜ。降りたらうまいもんくってさ。うまい酒飲んでさ。だから頑張って歩こうぜ」
オレは彼女の肩を強くゆすった。これまで泣きじゃくっていた彼女は活きのいい魚かなにかのように跳ね上がり、オレを振り返る。虚ろだった瞳に焦点があいはじめた。
「奏……」
涙と雪と鼻水とでぐちゃぐちゃに濡れた顔に、さらに涙があふれていた。
「奏……ごめんね、ごめんね、私が捻挫さえしなければ今頃は山小屋だったのに‥‥ごめんなさい。ごめんなさい……でも私もうダメなの。もう疲れた……」
積雪でオレの身体が真っ白に凍りついている。小高い山のミニチュアになったようなそれにすがりついた。
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