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「佐和さん?」
そんな私を察し、樋山くんが首を傾げる。
「どうかしました?」
「あのね、樋山くん」
「ん?」
この手を失いたくない。その一心で行ったロンドン。あの時学んだのに、私はまた同じ過ちを犯そうとしている。
「本当はね、チョコ、作ってきたの」
「えっ?」
「でも私お菓子とか作ったことなくて、すごく下手で」
そっと樋山くんの腕の中から離れると、バッグの中からそれを取り出した。
「ほんとに下手なんだけど」
俯いたまま、恐る恐る差し出す。彼の前ではくだらないプライドは不要。ありのままの自分で飛び込めばいい。それを忘れるところだった。
彼はこんなひねくれ者の私の全てを受け入れてくれているんだから。
「受け取ってくれ……ひゃっ、」
「すげー嬉しい」
力強く抱きしめられ、一瞬息が止まった。
「そ、そんな、大袈裟な」
「だって佐和さんの手作りなんでしょ? 誰にもあげたことないって前に言ってたじゃないですか」
声色がハイテンションだ。まさかチョコひとつでこんなに喜んでくれるなんて……思い切って言って良かった。
よく考えたら、プレゼントの質や器量なんてさほど問題じゃない。大事なのは相手を想う気持ちだ。
「生まれて初めて誰かにお菓子作ったの」
「まじで嬉しいです。開けていいですか?」
「どうぞ」
樋山くんがにこにこしながらラッピングを解いて行く。それを横目で見ていた。こんなにも緊張するのはいつぶりだろう。やっぱり彼の前だと知らない感情がどんどん湧き上がってくる。知らない自分を発見してしまう。
「あ、ガトーショコラだ」
「不格好でごめんね」
「ん! おいしい!」
「無理しなくていいからね」
「本当においしいですって。初めて作ったとは思えません」
お世辞でも嬉しかった。あのまま渡していなかったらきっと後悔していただろう。
「最後に、とっておきのデザートいただいていいですか?」
「え? まだなにか食べるの?」
「えぇ、食べますよ」
「きゃっ」
このあと、甘い匂いを漂わせる樋山くんに、甘々に愛されたのは言うまでもない。
すったもんだあったけれど、生まれて初めてこんなに幸せなバレンタインデーを過ごした。きっと一生忘れないと思う。
来年のバレンタインまでには腕を磨いておこう。彼を喜ばせる為ならどんな努力だって惜しまない。それが私。
「あ、この前の甘い匂い、もしかして練習してました?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「怪しいな~」
そしてやっぱり素直になれないのも、私、東雲佐和だ。
Fin.
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