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帰るのがあまり遅くなってしまってもいけないということで、もう二、三の歌を詠んで感想を述べあうと、僕らは帰宅の途についた。田舎の大学ゆえに下宿が限られているせいか、僕と玉木先輩は帰る方向が途中まで一緒だ。
この感情に気づいたのはごく最近のことだけれど、今思い返してみると、初めて出会ったあの日から、すでに始まっていたのかもしれない。
現代を生きる男なら潔く思いを伝えるべきなのだろう。けれど、玉木先輩のまとう空気は、現代的とは少し違う。だから僕は、それを言葉にするべきなのかよくわからず、二の足を踏んでしまうのだ。
「忍ぶれど??」そう歌をそらんじた優し気な瞳を僕は思った。恋とは彼女にとってひそかに思い続けることであって、誰かに、まして本人に伝えるべきことではないのかもしれない。
「何、考えてるの?」
彼女の声で思考が途切れた。ふと顔を上げると、少しだけ前を歩く彼女が僕の顔を覗き込んでいた。
「さっきから、ずっと黙ってる」
僕を覗き込む二つの瞳が、ふっと少しだけ優しく緩んだ。
綺麗だ、と僕は思った。初めて彼女の目を見たときと全く同じ感想を、今も確かに持っている。
りん、とどこからか風鈴の音が聞こえてきた。どうやら、学校の近くの民家に取り付けてあるらしい。夏の風物詩のはずなのに、秋に聞く鈴の音も、風流を感じさせる。
玉木先輩の質問には答えずに、僕は雲ひとつない空に高々と浮かぶ月を見上げた。
整然と並べられた街灯が闇夜を照らすせいで、星はあまり見えない。真っ暗な空にぽつんと取り残されたその姿は、まるで「孤悲」をしているように見えた。
「玉木先輩」
自分のものとは思えない、蚊の鳴くような、かすれた声が出た。なあに、と屈託のない笑顔で玉木先輩は僕を見やる。
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