第1章  ピアニスト

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ふたりが去り、静けさを取り戻した病院で。 ゆっくりとさくらの病室に戻り、ベッドの横の椅子に座る。 電子音。 目を覚まさない、さくら。 「お前なら、どうした……?許したか?」 さくらなら、と考えてしまう響。 きっと、さくらなら…… 「ほんと、危ないんですからね!死んじゃいますよ!!」 などと、相手の心配して、軽く許してしまうんだろうな…… いつだって、さくらはそうだった。 自分のことよりも、人のことばかり気にするお人よし。 自分が危ない目に遭っても、無事だったらきっと、許していただろう。 まるで、眠っているようなさくらの表情。 目が覚めるかどうかも分からない現状。 「それでも、俺は全く知らない家族の心配よりも、お前の未来の心配をしてしまう。お前ほど、お人好しじゃないんだよ……」 自分の心の小ささに、そして何も変わらない現状に苛立ちを覚える。そして、やり場のない苛立ちをぶつけることもできず、立ち上がった。 「失礼しました。」 さくらの病室を後にし、病院を出る。 冷たい風が、まるで頭を冷やしてくれているようで、少し心地よかった 小さくため息を吐くと、響は帰路についた。 病院から家までの、いつもの帰り道。 途中、通りすがったコンビニから、「初雪」のイントロが漏れる。 響は立ち止まるが、またすぐに歩き出す。 「ピアノは……目的がないと弾けないだろ?俺には、もう目的は見つけられそうにない……」 まるでさくらに言っているかのような、独り言。 そんな響の言葉に応えるかのように、強い風が吹いた。 迷える天才ピアニスト、麻生 響。 彼が再びピアノと真剣に向き合うのは、まだ先の話である。
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