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舞台『アドルフ』の本番が近づくにつれ、座組の結束力はどんどん高まり、個々の演技にも磨きがかかってきた。
ことに、ヒロインを務める泉友香の芝居は、ある瞬間を境にツルリと何かが剥けたように、透明感を増し星崎をうならせた。
泉の役どころは、聖女である。
主役のアドルフの不幸と、内包する狂気や闇に気付きながらも、その傍を離れることなく最後の最後まで彼を愛するという役だ。
しなやかに嫋やかに。無償の愛の象徴として、彼女は描かれている。
当然、人間としての葛藤ははらんでいるが、アドルフのそれに比べてしまえば些細なものであると映るのかもしれない。
だからと言って、彼女の役が簡単かと問われればまるで違う。
全てを包み込む『愛』を表現することは、決して容易いことではない。
まるで本物の聖女。
その説得力を観客に感じさせるためには、言葉や仕草の力――演技の巧さ――だけではない『何か』が必要となる。
星崎はその何かのことを『パンチ』があるとかないとか、そう表現している。
曰く、泉にはパンチがあるのだ。
だからこそ、大杉は焦っていた。
通し稽古を重ねるごとに増していく、聖女の輝き。
芝居の中にあって、心が打ち震える程、あるいは縋り泣きつきたくなる程、彼女という存在に救われている現実に、苛立ちをも募らせた。
大杉が泉に『光』を見出すのは、ある意味では当然の事と言えた。
彼は『アドルフ』なのだから。
アドルフがマリアである泉に心を救われるのは、シナリオ通りの展開なのである。
しかしながら、大杉の心がそれを完全には受け入れらずに苦しんでいたのだ。
マリアとしての泉ではなく、役者としての泉に嫉妬していた。
自分の心がアドルフに近づけば近づくほどに、泉への憎悪が増していくという矛盾。
これもまた、アドルフであれば当然の事であることに、大杉は気付けないでいた。
『アドルフ』は愛したマリアでさえも、死に追いやるのだから。
大杉は、舞台本番の前日にして、抱える不安を星崎に吐露した。
劇場入りした役者たちが荷物整理を終えて帰ったあとの、楽屋の中でのことだった。
「俺はまだアドルフになれてないんです」
座長専用にとあてがわれた個室の楽屋。その鏡の前で、大杉は部屋のあちこちに視線を彷徨わせていた。
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