第一章 邂逅と後悔

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 「序」として、開錠し、重量のある鉄格子を開き、そして閉じる音。  その一切は館内に鳴り響き、無音の中に一層の緊張を生んだ。  「破」として、リノリウムの床に冷たい革靴の音。  「キュ」と「コツ」の中間音。一定の間隔で歩む音。  ある『独房』の前にさしかかり、速度が落ちると同時に止まる。  「急」として、低く、機械的な男の声。  「時間だ」  ベッドに腰掛けていた男は、腹筋、大腿筋、ふくらはぎの順に力を入れ、淀みなく立ち上がる。  ネクタイを右手で直し、鼻から大きく息を吸い、軽く、口から出した。  男は、今日たった今、すなわち西暦二二一九年八月一日正午、四十五歳の誕生日目前に、三年二ヶ月の刑期を終え出所する。  男は、二時間後、出所したことを後悔することになる。  男は今日、すっかり着慣れてしまった囚人服を脱ぎ、クリーニングから帰ってきたスーツに着替え、用意してもらったま新しい黒革靴を履いて準備していた。  鍵が開き、さびた金属音で扉が開き、身をかがめ、出た。  何重にも閉じられた鉄条扉を抜け、最後のドアがゆっくり開く。  湿度を含んだ熱気が鼻を突いた。  空は単に青い。  うるさいくらいの蝉の声がサラウンドのように降り注いでくる。  八月以外の何者でもない。 「もう、こんなところに戻ってくるな、といつもなら言うところだが……まあ、お前は大丈夫か」  受付の中にいる看守が苦笑しながら言い、男もつられて苦笑した。  横にいた別の看守からタバコが差し出されたので一本だけ抜き出し、看守の付けた火を遠慮なく借りた。恐らくこれまでにも、同じ行動をした男は何人もいただろう。  一息吸い込み、煙を吐き、指先を見てもう一度大きく吸い込み、大きく息を吐いた。ほんの少し、立ちくらみに似た感覚を味わったが、それもすぐに収まった。  もう一息だけ吸ってから、横にある防火バケツに放り込んだ。  一歩踏み出す。  が、その一歩目で男は歩みを止めた。  遠く金網フェンスの向こう、黒塗りの外車と、全身を黒スーツに包み顔にはサングラスという、怪しすぎる出で立ちの小柄な男が見えたからだ。  陰になってよく見えないが、運転席にも人間が居るようだ。
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