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桜の花弁が殺風景な道路を彩る春のこと。
春一番が数日前だった。
私は暖かい陽光によって幾らか寒さが和らいだ公園で、家族とお花見に来ていた。
「洋子。はい、これがおにぎりよ。そして、こっちがお茶ね」
お花見といっても、私は目が見えない。
一ヶ月前の交通事故で両目とも網膜剥離をしてしまい。未だに視力が極度に低下していた。
医者の話では、手術の経過は大変良く。しばらく安静にしていることで治るとの話だ。
それを聞いた両親は楽観視していた。せめて視力が戻ったときには、綺麗な景色を見せてあげたいと考えたようだ。天気の良い休日の日には、方々に綺麗な景色を探しては私を連れ回していた。
「疲れた……。もうイヤだ……」
私は呟いた。どちらかというと家で大人しくしていたかった。
交通事故は、私の大切なものを奪った。
それは、命より大切なもの。
そう……人から安心感で満たされるということだ。
一人で外へ出ても大丈夫だということ。
車の往来が激しくても大丈夫だということ。
家族と一緒に旅行へ行っても大丈夫だということ。
当たり前のことが、今の私には戦慄の対象でしかなかった。
「洋子もほら、父さんがおにぎりにケチャップをつけるのを止めさせて」
笑い声の母さんの方に私は頷いたが、ずっとジーンズのポケットの中へ入れた左手を出そうとはしなかった。
あれ以来。
外へ出ると、左手が震えていた。
額に浮き出る汗や眩暈はいつの間にか無くなったが。
けれども、左手だけは治らなかった。
恐怖症。
そんな言葉を覚えていた。
左手は軽く捻っただけだそうだ。
駐車場から強引に走り出した車に轢かれ。
気が付くと、ショッピングセンターの入り口が真っ赤なコンクリートになっていた。
初速を伴った車のヘッドライトは、左側から私の体を撥ねたようだ。
体もなんとか無事だった。地面に両手を当てたので、額がコンクリートに強くぶつかっただけだった。
手足の擦り傷や額に大きな痣ができたようだが、家族は笑っていたからそれほどでもないのだろう。
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