ケサランパサランへようこそ

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「いいえ、自分のためです。独りで生きるには勇気が必要です。だからそれをもらいに、巨樹に逢いに行くのです」 「そうなんですか……」  この人も旅人なんだ。そう思うと胸が込み上げる。 「こいつがいるのに、なぜ自分は幸福でないのか。そんな自問を繰り返したのです、でも間違いだった」 「何が間違っていたのですか?」 「幸福はね、風のようなものなのですよ。巨樹を揺らす強風もあれば、頬を撫でる春風もある。いつも側にあるが、その存在に気づかないものなのです」  八木さんの話を聞いて思い出した。  ──あれは私が家を出て都会に行く日だった。  いつも無愛想な父が見送ると言うので断ると、その背中に投げられた言葉があった。 「亡くなった母さんは、お前の幸せを望んでいた」 「……行ってくるね」  言葉足らずな別れの言葉。  いや、心のなかでは叫んでいた。誰よりも幸せになって見返してやると──。 「巨樹がある駅につきました」  八木さんが席を立つと、ケサランパサランも一緒に動く。だから私も途中下車した。 「こいつはね、妻が飼っていたものなのですよ。こいつを木村さんに託します」 「そんな、亡くなった奥様の大事なものを」 「自分にはもう必要ありませんから。大事なものは、もうここにあります」胸を叩いた。「後ろを振り返ることはね、決して悪いことではありませんよ」 「……ありがとうございます」  頭を下げて絵の具入れの箱を受け取った。 「巨樹の絵が描けたら、いつかきっと見せますね」  八木さんが軽快な足取りで去って行った。  別れの言葉はいらない。また逢えると信じているから。
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