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「どう? これでもあの子が元気だったと言える?」
麻衣は言葉を失った。見えていた姿は確かに元気そのものだったのに、A4の画用紙に映し出された絵は黒色のクレヨンだけで描かれていた。女の子が言ったおうちという存在など見当たない。あるのは、無秩序に殴り描きされた闇だけだった。
「人間は必ずしも表面と内面が一致するとは限らない。そういうことね」
美里は女の子の絵を裏返し、机の端に寄せた。
さて、始めましょうか。なんて前振りもなく、麻衣が突如として二者関係を築こうと話し始める。
「夫が不倫していたの。それくらいからなのよ。ちょっとずつおかしくなっていったのは……」
美里の後方にある窓から、心地良い春風が流れてくる。第三者からすれば、なんて穏やかな空間なんだと言うことだろう。
でも、二者関係という縛られた空間におかれた麻衣は息が詰まるほど辛い空間だった。
美里は何度も相槌をうち、話を聞いているようだったので、麻衣は言葉を続ける。
「元々、夫婦関係は円満だったとは言えない。けれど、私以外の女と遊ぶほど追い込んだりしたつもりはないのよ。なるべく、夫の思うように動いたし、色々と気も遣った。なのに、あの人は……」
麻衣の体は小刻みに震えた。
「裏切ったのよ」
口から飛び出た言葉はひどく冷たいものだった。その言葉を聞いてもなお、美里の表情が崩れることはなかった。いつまでも子供をあやす母親のような微笑みは変わらない。
つまり、と美里は口を開く。それからは麻衣が言ったことをより短く、麻衣の内側にある想像の縁にそって美里は言葉を繰り返した。
彼女はすごいカウンセラーだと改めて感じた。落ちそうなギリギリをつくけれど、きちんと伝えたいことの核心を突いている。それに、こちらの感情に合わせた口調で同調してくれる。さっきまであった息苦しい感じがいつの間にか消え去っていた。
こんな空間なら毎日でも通いたい。
「それでどうなったの?」
美里は会話のバトンをこちらに投げかける。
「それで……夫の不倫の事実を知った私は、問い詰めようとはしなかったの。だって、私の努力不足で彼がそんな行動に走ったかもしれかったから。彼も根は良い人だから、魔が差したという可能性もあったし、とりあえず、私は私なりに努力しようと思った」
麻衣は息を吸って、言葉を続ける。
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