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「そうだなぁ……高梨(たかなし)、高梨祐一(たかなし ゆういち)でいいよ」
「何その他人みたいな言い方」
「そうかなぁ?」
祐一と名乗った少年は、一向に飄々とした態度を崩さない。
結局亜由美が折れるしかない。なぜなら亜由美は短気だからだ。
「まぁ、いいわ」
「そりゃどうも。よっと」
祐一は鉄パイプから砂地に飛び降りた。
「それで亜由美お姉さんは何で悲しんでいたの?」
「それは……」
亜由美を見る祐一の目には、純然たる好奇心が宿っていた。人の心の中を見透かすような透明感。亜由美は何かを言い返そうとしたが、その目に気圧され押し黙ってしまった。
夕闇が迫り、公園の照明灯が徐々にその存在感を示し始めた。
静かだった。
今公園にいるのは亜由美と祐一だけだ。
それ以外何の気配も音もない。
まるで世界から切り離されたような、そんな感覚が亜由美を襲った。
「ねぇ、亜由美お姉さん?」
「え? あ、ええと何だっけ?」
「何を悲しんでいたのか」
「え? ええと、そうね」
亜由美は一呼吸間をおいた。
「私のお父さんね、ここで倒れたの」
何で自分はこんな事を話しているんだろう。初対面の、しかも年下の男の子に。
でも。
もう亜由美の口は止まらなかった。
「急に倒れて。私がいくら呼んでも答えないの。動かないの。そのうち救急車が来て、病院に運ばれて……」
亜由美の頬を熱い物が伝った。
──あれ? おかしいな。もう泣かないって決めたはずなのに。
お父さんとの思い出は、自分の中でちゃんと整理したはずなのに。
一〇年かけて厳重に蓋をして、その上からまた蓋をして積み上げて来たはずなのに。
それを見ていた祐一は、静かにこう告げた。
「亜由美お姉さんは、それで悲しんでいたんだね」
「違う! 悲しんでなんかいない!」
即座に反論したその声は、震えていた。
「もうお父さんはいないの! もう悲しくなんかない! そうしないと、そうしないと……」
最後は言葉にならなかった。
亜由美の嗚咽だけが公園に悲しく響いた。
祐一は、そんな亜由美をじっと見ていた。まるで時が止まったかのように。
その静寂を、祐一の一言が動かした。
「その『悲しみ』は、『辛い』?」
祐一の声は穏やかだったが冷徹な透明感があった。
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