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「お父さん!」
亜由美は立ち上がり、衝動的に駆け寄ろうとした。
「ちょっと待った!」
鋭い祐一の声が、亜由美の全ての行動を封じた。亜由美は足が砂地に縫い付けられたように貼り付き、そこから一切の身動きが出来ない。
──何よこれっ!
「何よ! 何をしたの?」
「まだだよ。まだ亜由美は『契約』を果たしていない」
「け、契約?」
「そう。僕はまだ代価をもらっていない。先払いなんだよ、これは」
「いいわよ、どうやって払えばいいのか分からないけど、早くして!」
亜由美は、光の柱を食い入るように見つめていた。
「いいんだね?」
祐一の凜とした声が、静かに周囲に拡がった。
これはそう──契約だ。
思い出と引き替えにする事で手に入れるモノだ。
手に入れる。
──何を?
亜由美の脳裏に疑念が浮かんだ。
──私は何を手に入れるの?
祐一は『契約』だと言った。
──お父さんを手に入れる? どうやって? 契約って何?
「もう一度聞くよ。『いいんだね』?」
亜由美は、祐一の声で冷静さを取り戻した。
──私は一体何をしようとしているの?
目の前で起きている出来事はあまりに突飛だ。
既に死んだ人間をどうやって手に入れるというのか。
しかもそれには代価が必要だと言う。
そしてその代価は、亜由美のお父さんとの『思い出』だと言う。
それが『契約』だからだ。
──お父さんを手に入れるために、私はお父さんとの思い出を失うの?
矛盾している。
亜由美の関心が、徐々に光の柱から離れる。
──違う。
亜由美は目の前の光景を否定した。
──お父さんはもういない。それに思い出がなくなったら、私はお父さんの存在すら否定してしまう。
亜由美はお父さんが大好きだった。
でもお父さんは一〇年前にこの世を去った。
それが現実だ。
お父さんの思い出と引き替えに手に入れる『モノ』は、きっとお父さんではない。違う『何か』だ。
今亜由美が立っている世界は『現実』なのだ。それはお父さんが『いない』世界だ。
だから答えは『分かっていた』。
違う!
そんな事、私は望んでいない!
亜由美がそう心の中で叫んだ瞬間。
亜由美を縛り付けていた、得体の知れない力が消え去った。同時に光の柱も消滅した。その中にいた『何か』も。
亜由美は体中の力が抜け、その場にへたり込んだ。
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