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大妃殿で働く宮女・青郁と端女・子玉は主従関係ではあるが、同じ部屋に住み、とても仲がよい。仕事が休みの時は、一日中一緒に楽しく過ごすのだが、二人の非番の日が一致することは、あまり無い。明日は、その貴重な一日である。
実家が豊かな青郁は、この日のためにと子玉が好きな果物や菓子を送ってもらい、また、子玉の好きな「西遊記」の本を殿内の書庫から借りてきた。今回の休みは、一日中、果物や菓子を食べながら、「西遊記」を読んで過ごすのである。
普段より遅く起きた二人は簡単に身支度を済ませる。出仕する日は、きちんと化粧をし髪を結う青郁も、今日は洗顔のみで髪も後で括るだけ。服装も無地の上衣と下裳。子玉も同じ格好である。
二人は円膳に置かれた果物を互いに食べさせあった後、文机に並んで座り、「西遊記」を開く。
「混沌未だ分かれずして天地乱れ、茫茫渺渺人見ること無し……」
子玉は最初の一文を読み始めたが、
「碧香さま、やはり私にはまだ難しいです」
〝碧香〟は青郁の諱(いみな)である。二人だけで過ごす時は、子玉はこう呼び掛ける。
「珠香、大丈夫。ちゃんと読めているわ」
〝珠香〟は、碧香が付けた子玉の諱である。農民の娘である子玉には諱がないので碧香が付けたのである。香の字を入れたのは彼女を自分の姉妹と見做しているためである。
珠香は視線を机上の書物から隣に座る碧香に移した。化粧っけがなくても頬はなめらかで柔らかく唇は花弁のよう。誰も知らない碧香のこの素顔を珠香は独り占めしている。そっとその頬に触れた。
碧香はその手を愛おしそうに両手で包み込む。
「次は私が読むわね」
碧香は珠香の手を戻すと彼女の頬に自身の頬を近づけた。そして片手を繋いだまま、本を読み続ける。碧香の身から流れ出る花のような香りとほっこりとした声を聞きながら、珠香は微睡んでいた。その様子を見ながら碧香の心は満ち溢れていた。
――私だけの珠香。
碧香はそっと呟いた。
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