至宝

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 もう1年になるだろうか。毎月、多い時には月に2回もカットにやってくる。  普通に考えれば指名してくれる有難い客なのだろうが、それがそうとも言えない。     なにせ、切る髪がない。  トップは頭皮から3センチ、襟足は刈り上げに近く、パーマはかけようがないし、やたら黒々としてコシの強い髪はカラーも必要ないし、本人がしたがらない。  いつも毛先を数ミリ切るためだけに毎月やってくる客、鱒崎滋(ますざきしげる)、35歳。  せめてルックスが良ければ少しは気分もいいのだろうが、もっさりとしたよれよれの趣味の悪いスーツに度の強そうな黒縁眼鏡。やたらガタイはいいのだが俺はマッチョ好みじゃない。姿勢も悪い。  極めつけは無口、寡黙。  話しかけても「ん」とか「ああ」とかしか言わない。とにかくむっつりしている。  返事はするから聞こえていない訳ではないのだが、カットしている間のわずかの時間も少しの会話も成り立たない。間が持てない。  俺が気に入らないのなら指名を変えればいいのにそれはしない。  でも気に入られているようにも思えない。俺目当てなのかそうじゃないのか、それすらもはっきりしないから気持ち悪い。
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