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「貴女は自分にとっての兄、僕にとっては幼馴染みである彼を殺してくれと頼むのですか?」
「この世で兄様を殺すことが出来るのは、亜緒様だけですから」
それは殺子が頼むこと適(かな)う立場の範囲内でということだろう。
「そうは言っても貴女の兄は強い。僕のほうが殺される可能性のほうが高いですね」
「では正式に依頼をします。兄、紅桃林(ことばやし) 紫(むらさき)の始末を」
「普段なら殺しの依頼は受けないんですけどね……」
『左団扇』は殺しを請け負う店ではない。しかし――。
「背に腹は変えられないという有り難い御言葉もあります。お引き受けしましょう」
亜緒のタメ息混じりの声に、殺子は深々と頭を下げた。長い髪が優雅に細い肩を滑っていく。
「ただし、依頼料と成功報酬は別々で高く付きますよ」
「心得ております」
そうして亜緒は殺子の夢の中から開放された。
この世界は季節感に乏しい。
体感温度や食べ物、風景から四季の呼吸を感じ取ることは出来ても、空は何も教えてくれないからだ。
相変わらず金環日食のような光輪に縁取られた黒い太陽が今日も輝いている。
それでも夏となれば、他の季節と違って昼が普段よりも幾分明るい。
この世界の人々には一番過ごしやすい季節であった。
雨下石家の庭では、来客三人を迎えて野点傘(のだてがさ)の下でささやかなお茶会が催されていた。
ちょうどノコギリのお手前が客人から感心されたところだ。
客の一人は紅桃林 紫という。
時折覗けるあどけなさと、物憂げな表情がどこか退廃的な陰影を美しい顔に描き出している。
ただ、薄影に光る銀髪と蒼白の肌。そして赤紫の瞳が彼の得体の知れなさを物語ってもいた。
年の頃は十五、六といったところだろうが、妙に艶っぽい色気を持つ少年だ。
魔性という性(さが)が彼には備わっているのかもしれない。
茶の席だというのに紅藤(べにふじ)色の着流しを着て、礼儀を失している。
着物のサイズも滅茶苦茶だ。
着崩れした襟元から少年特有の華奢な鎖骨や肩が露わになってしまっていて、こうなるともう礼儀云々以前の話になる。
けれど、紫には一向に気にする様子は無い。
始めから礼式など守るつもりも無く此処に座っているのだろう。
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