第二章『濡れ女』

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     2 『生者と死者』  黒い太陽。  それはまるで金環日食のように光が淡く周りを囲っているから円形だと分かるもので、この世界で見ることの出来る唯一の天体らしきものである。  そんな薄明かりの下でも表通りに出ればガス燈や燈籠、店先には宣伝も兼ねた数々の行灯が灯っていて、人の多さと相俟って賑やかな明るさがあった。  一方で脇道へ入ると、その独特な賑やかさとは対照的だ。  ポツリポツリと置かれた石燈籠が儚げな灯をチロチロと揺らしているだけで、この世界本来の薄暗さが姿を見せる。  だから余程の理由でも無い限りは皆、表通りを行く。  亜緒はその寂しい裏道から藤村 草之介の響きを辿っていた。  人が多いところでは特定の響きを感じ取りにくいのだ。  それにしても、我ながららしくないことをしていると思うのだった。  亜緒は面倒ごとを嫌がるくせに、昔から死霊、妖等からの頼みごとは断らない。  嫌々ながらも何故か聞く耳を持ってしまう。  性分といってしまえばそれまでだが、本人も妙だとは思っている。  ――藤村 雪絵。  櫂の無い木舟に立つ、三途の川を渡らない女。  相手が死人では依頼料など望むべくもない。タダ働きだ。  さすがに六文銭(三途の川の渡し賃)をよこせとは言えない。  もっとも亜緒が自発的にやっていることでもあるので、誰かに文句を言える立場ではない。  遠回りになってしまったが、亜緒は『藤村』という表札の家の前に辿り着いた。  閑静な住宅街に建つ庭付き一戸建ての、なかなかに立派な家だ。  家の外周には結界が張られている。  珍しいことでは無い。  この世界は魑魅魍魎が棲む領域でもあるのだ。  家を建てる際には結界専門の術士に相応の処置を頼むのが普通である。 「それにしても……」  亜緒の瞳には一風変わった結界に映った。  死霊の類に特化し過ぎている。 「これじゃあ、雪絵さんは家に近づいただけで消滅してしまう」  呼び鈴を押すと中年の女性が出てきて、亜緒を見るなり怪訝な表情を浮かべた。  青い髪と瞳は、本人が思っている以上に悪い意味で目立つ。 「こんにちは。雨下石 亜緒といいます」  出来る限りの愛想を振りまいて善人であることをアピールしてみるが、そこが却って相手の不信感を助長させてしまっている。  実際、亜緒は善人というほどの人間ではなかった。
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