番外編『ノコギリカレーライス』

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 雨宿りの桜が街に咲く頃、来客を告げる呼び鈴が『左団扇』の座敷に鳴った。 「蘭丸ー」  新聞に視線を落としたままで、亜緒が蘭丸に客を促す。 「たまにはオマエが出てくれ」  いつも客人の対応を押し付けられるのは蘭丸だ。  蘭丸は蘭丸で今夜の晩御飯を何にしようかと思案中で地味に忙しいのだった。  安い食材で栄養のバランス良い献立を考えている最中なのだ。 「新聞なんかいつだって読めるだろう」 「情報というのは鮮度が大事なのだ。腐らないうちに目を通す必要があるのだよ」 「だったら、もっと早く起きろ!」  昼をとうに過ぎた時間に起きてきて、新聞を捲る亜緒に言われても蘭丸は納得がいかない。  意識せずとも声が荒くなる。 「では男らしくジャンケンで勝負というのは?」 「いいだろう。負けたほうが玄関先まで出て対応というわけだな」  二人は頷き合ってから互いの手を相手に示す。  相子だ。  次々と目まぐるしく手を変えていくが、いつまでたっても相子が続いて勝負がつかない。  いつの間にか呼び鈴の音も消えてしまった。が、それでも二人はジャンケンを止めない。  負けたほうが次に呼び鈴が鳴ったときに玄関先まで出て行くことになるからだ。 「依頼人だったらどうするつもりだ! もう遅いがな」 「きっとガスか新聞の集金か何かでしょ! もう遅いけどね」  ジャンケンに夢中になる二人を眺めながら、鵺は退屈そうに欠伸をした。 「まったく、『左団扇(ここ)』はどうなっているんですの? 呼んでも誰も出ないし、鍵も掛かっていないし、家人は遊んでいるし……」  聞き覚えのある声の先には雨下石 ノコギリが呆れた表情を作って二人を見据えて立っている。  黒髪の一部が青に変色しているオカッパのサラサラ。釣り目気味の中の瞳の水色。  一度会ったら忘れられない。どこか可憐な印象を持った少女だ。 「これはノコギ――」  ノコギリが殺気を孕んだ視線を蘭丸に投げつけた。 「さ、桜子さん……」  蘭丸が慌てて呼び直す。またスローイングナイフを盛大に放られたのでは堪らない。  亜緒の妹であるノコギリは自分の名前を気に入っていない。  他人に本名を呼ばれるとナイフを投げる癖? があるのだ。  鵺が目を丸くしてノコギリを凝視している。  この前の着物とは違うノコギリの女袴姿が気になって仕方が無いといったふうだ。
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