桶狭間

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永禄3年(1560)5月19日 信長とその本隊およそ2000は小さな坂を駆け上り、駆け下り、また駆け上り、えんえんと今川勢を目指していた。 信じられないほどに暑い。 これより二刻ほど前、辰の刻(午前8時)信長は熱田社で後続の兵を待つあいだ、ひとり本殿に入り戦勝祈願をし、出てくると左右の近習たちに言った。 「神殿の奥から白い光が差し、俺を包んだのだ。この戦、きっと勝てるぞ」 そう言うとひどく明るい表情で馬上の人となった。 近習たちは半信半疑だったが、ともかく殿様がああいうのだからきっと熱田の神のご加護があるだろうとぼそぼそと話しながら後に続いていく。 巳の刻(午前10時)、善照寺砦に入る。鷲津・丸根砦の方角にふた筋の黒い煙が上がっているのが見えた。近習や馬廻りはともかく、足軽やら小者が早くも浮き足立った。 信長はそんな兵士たちを後目にみながら、戛戛(かつかつ)と輪乗りをし、天にも届けとばかりに大声で叫んだ。 首からは道三遺品の大数珠をかけている。 「見よや、者共。玄蕃と大学は先にいったぞ。此度は俺に命をあずけよ。ここが切所ぞ。 よいか、相手が押してきたら退け、退いたら押すのだ。 今川勢は夜を徹してふたつの砦を落とし疲れている。我らは新手だ。運は我らにある。 名をあげるも今、家を興すも今ぞ。皆、励め」 持ち前の大声で兵たちを激励し、さらに分捕りや首にこだわらずに突捨てよ、と命じた。 嘘である。信長は丸根と鷲津の両砦を捨て石にして先鋒を惹きつけさせ、2万とも3万とも噂されている今川勢を少しでも減らしたかっただけであり、その意味では作戦は成功した。しかし、これから信長勢が激突する今川本隊は全くの無傷である。 海道一の弓取りに、海道一怯懦な織田勢が挑むのだから、この程度の嘘は許されるであろう。 「坊主の嘘は方便、武将の嘘は知略」 亡き舅道三の声が蘇った。 笑うなよ、蝮。 肩で大数珠がじゃらりと鳴った。 笑うなって。俺を生きて帰蝶のところへ帰してくれよ。 そんなことを生真面目な顔の下で思いながら、信長は自分の大槍を突き上げ、エイ、エイと鬨(とき)を作った。 おう、とあたりをどよもすほどの声があがり、その響きが海道一の怯懦な軍を一種の神がかった集団に変えた。
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