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さらにこの時、善照寺に信長本隊が到着したのを合図として佐々正次・千秋季忠隊300が今川勢の岡部元信隊3000が守る鳴海城へ攻め入り、奮戦のすえふたりを含む五十騎が討ち取られた。信長自身もなぜ佐々・千秋隊がいたのだかがわからない。とにかく期せずして佐々と千秋が囮になったおかげで多少今川の勢力を削ぐことができた。
信長の目に、今川の旗指物のが無数に動くのが見えた。それは桶狭間山のところで止まった。
「あそこに行く」
川に遊びにいく、ほどの気軽な調子で信長が言った。
老臣たち-名は伝わらない-が止めたが信長が聞くはずもない。すぐに信長は作戦を立案した。
「旗指物に見えるようなものなんでも良いからこのあたりに多く立てよ。まだ俺の本隊はここにいるようにみせかけろ。兵を2000と1000に分ける。よいか、2000はこのまま真っ直ぐに桶狭間山をのぼる。1000は北側へ回り込み、鎌倉往還から扇川をわたり、太子ケ根を超えたあたりで待て。
五郎左、お前が1000を連れて行け。歩くな、駆けよ」
手早く、丹羽五郎左衛門に手勢をつけて旗指物をなびかせて移動させた。要はこれも囮になりうる部隊である。信長本隊2000はまずより桶狭間山に近い中島砦へ移動した。
その間、桶狭間山の上の旗指物は動かない。信長はここまで来て迷っていた。義元本隊はあそこにいるが、後続部隊がどのあたりにいるのか、皆目見当がつかない。すぐそばまで来ていると、合流され、こちらが返り討ちにされる危険がある。そのとき、
「殿様、梁田というものがお目通りを願っておりまするが」
近習のひとりが知らせてきた。信長の顔が兜の眉庇(まびさし)の下でぱっと明るくなった。
梁田氏は桶狭間近辺の豪族で、再三の信長からの調略にも返事をせず、日和見を決め込んでいた。
「すぐ会う、これへ」
近習についてきたまだ若い男は梁田広正(やなだひろまさ)と名乗った。
「待っておったぞ。どうだ、味方してくれる気になったか」
「は。今までお返事を差し上げなかったことのご無礼お許しいただきたく」
広正をはじめとする若い者たちは信長につこうといい、父や年寄りたちは今川へ味方しようといいはって互いに譲らず今になってしまった、と広正は詫びた。
「気にするな。どこもそうみたいだ」
と信長は気さくに言った。去就を過(あやま)てば一族郎党が滅びるのだ、迷うのが当たり前だ、とさらに信長は言葉を尽くした。
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