永禄沙汰

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「今年の打掛も見事ですわね、姉上様」 市姫が帰蝶に話しかける。侍女たちも口々に誉めそやす。 帰蝶の背後には信長から送られた新年用の打掛がかけられて、明日、帰蝶が袖を通すのを待っている。今年は銀色の地に朱や藍、金が織り込まれた随分と変わったものである。 帰蝶も後ろを振り返り、ふふ、と頬を薄く染めた。 「明日が楽しみでございますね」 各務野もしみじみと言う。 「まことに。織田の家にとっては存亡を賭けた戦いに殿様がお勝ちあそばされたおかげで、こうやって皆と楽しう過ごすことができます」 そう言ってからそばに控えている楓にむかって尋ねた。 「明日はどのくらいの客がくるかしら」 「さあ。三百、四百・・・見当がつきませぬ。昔が懐かしうございますね」 と最後は笑いながら楓が答えた。帰蝶がそれを受けて 「那古野へ嫁入りしたばかりのときは、たったの10名ほどだったのよ」 と皆に言った。帰蝶の那古屋時代を知らない侍女たちは驚きの声をあげ、美濃からついてきた古参の侍女たちはしみじみと頷く。よくここまで無事でこられた、という思いが去来する。 和やかな座が続いたが、一人の侍女がはっとして背を伸ばした。続いて皆がそうしていく。 廊下を軽快な足音が曲がり、帰蝶の居間の入側の障子が開かれると、一斉に侍女たちは平伏した。 市姫、各務野と楓は軽く頭をさげ視線を下に落としている。 帰蝶だけが艶然と微笑みながら夫を迎えた。 「いらせられませ。表の方はもうよろしいの?」 「ああ。将軍家から頂戴した褒美などを小姓たちに飾らせてある。楽しそうだな」 「ええ。皆一年よう勤めてくれましたもの」 信長は平伏している侍女たちをみて、 「みな、直れ。明日城に出る者たちは大変だぞ。七、八百は来そうだ」 笑いながら言った。当番にあたっている侍女たちは驚いた顔で「どうしましょう」「粗相などしたら大変じゃ」などと小声で囁きあっている。 信長は帰蝶の横にあぐらをかくとさらに、 「だが、奥が正月に城に出る者たちのためにあれこれ見繕っていたから、せいぜいそれを楽しみに励んでくれ」 と言ったので、侍女たちは顔を輝かせた。正月、織田一門や清洲、那古野、津島、熱田といった重要な賓客をもてなすために気を遣う侍女たちに特別に帰蝶から小袖や帯などが下賜され、それが侍女たちの密やかな楽しみとなっていた。
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