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「細雪」は売れた。圧倒的に売れた。
殆ど無名だったハイドロシュレッダーの名は、SNSや口コミを通してまたたく間に拡散し、誰もが知る存在となっていった。
和弘には嫌というほど出演依頼が舞い込んだ。彼は毎日のようにTVやラジオの音楽番組に出演し、「細雪」を歌った。誰もがこの曲を絶賛した。批判するのは一部のマニアや、偏屈な音楽ライターくらいのものだった。
だが和弘は批判組の意見に同調した。「細雪」が自分の曲であると、認めることができなかったのだ。彼はAmazonやiTunesで「細雪」を検索し、辛いレビューを書く人々を探した。そうした人々の意見に耳を傾けることが心の支えとなった。自分自身でも「細雪」に最低評価をつけ、残酷なレビューを展開した。「こんなものは音楽ではない」とまで書いた。
和弘はこの曲が嫌いだった。
だが、憎めば憎むほど、「細雪」の評判は広がっていった。
その年の暮れ、彼は紅白歌合戦で300人のコーラスをバックに「細雪」を歌った。
翌朝、何年も断絶状態が続 いていた実家から電話がかかってきた。
「おまえの歌を聴いた、感動した」父が震えた声で言った。
「和弘ちゃん、やったね!」母は電話越しに泣いていた。和弘は何も答えることができず、すぐに電話を切った。
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