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和弘はこれ以上「細雪」が売れてほしくなかったし、できればもう人前で歌いたくなかった。
彼は最大限の努力をした。次々と新曲を発表し、「細雪」を越えようともがいた。それらの曲は、品質においては「細雪」をはるかに上回るものだった。練りに練った構成に、考えぬいたメロディをつけ、本当に伝えたいことを歌詞にして乗せた。
金もふんだんに使った。ある曲ではイギリスの有名なプロデューサーを雇い、レコーディングもロンドンで行った。ビートルズをこよなく愛する彼にとって、それは至福のひとときだった。またある曲では、ヨーロッパの名門オーケストラをバックに迎え、壮大なバラードに仕上げた。
それでも売上は「細雪」の足元にも及ばなかった。
和弘はいつまでも「細雪の人」だった。
彼が憎めば憎むほど、「細雪」は大きくなっていった。細雪の人気はまるで衰えなかった。初めは学生を初めとする若い層の熱烈な歓迎を受けていたが、 今では中高年がカラオケで歌うようになった。小中学校の合唱コンクールの課題曲にも選ばれ、音楽の教科書にも載った。
もはや「細雪」は国民的な曲だった。
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