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「紅茶もなくなったみたいだな。出口まで送ろう」
いつもは引き留めるそぶりすら見せるくせに、今日に限っては早々に帰宅を促すルークへ、ソフィは手のひらを見せて首を振った。
「結構よ。一人で帰れるわ」
代わりにポンド硬貨をレティキュールから取り出そうとすると、今度は彼の方が手のひらを見せて拒否を示した。
紳士の矜持を折ってくれるなということだろう。ソフィはいたたまれない面持ちで「ご馳走様」と告げると、彼に背を向けてクロークへと向かう。
その小さな背中を、やりきれない様子で見つめているルークのことなど気づきもせずに。
◇
その晩、ソフィは夢を見た。幼い自分が泣いていて、それを宥める少年の夢だ。
十七年前、母が亡くなった翌日。遺体の収まった棺が埋められることに耐えられなくて、ソフィは遠目に礼拝堂の陰から見送ることが精一杯だった。敷地内に植えられたリンゴの木の下から、ひっそりと。
父も、兄も、雑役婦さえ、ソフィ以外の皆が母の葬儀に参列した。
ただ一人、雑役婦の息子であった少年だけが、彼女に寄り添うように席を欠いたのだ。
しくりしくり、わんわんと泣きじゃくるソフィに、彼女と共に葬列の席を欠いた少年は、呆れることなく背中を撫で続けた。
泣かないで、とは、言わなかった。彼はただ、大丈夫だよとソフィを安心させるように語りかけて、これからは僕がずっとそばにいるからと言い諭した。
本当に? ――念を押したソフィに、彼は頷いて言ったのだ――約束するよ。
七日七晩寄り添って、そう囁いた翌日のことだ。
彼が、行方をくらましたのは。
初めこそ雑役婦もソフィの家族たちも血眼になって探したが、誰一人として目撃者の居ない失踪は、幾年もしないうちに捜索が打ち切られた。
それでもソフィは、少年への未練を断ち切ることができなかった。
新聞にくまなく目を通しては、定期的に周辺の町へ繰り出して、記憶もおぼろげな彼の影を追い続けた。
無謀なのは重々承知で、それでも諦めきれなかったのは何故なのか。
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