20人が本棚に入れています
本棚に追加
矢のように飛んできた影がふわりと速度を落とした。
形を変えて舞い上がり梢に止まったそれは、鴉。嘴には黒蝶が咥えられている。
バキバキとまるで骨を割るような音をさせて鴉が蝶を噛み砕いた。白い靄の中、黒い燐粉がほろほろと煌いて散る。
「晴明」
構えようとした博雅の刀を晴明が制した。
『息災であったか、晴明』
鴉の嘴から出たのは軋むような男の声。博雅が目を見開く。
「道満……何のつもりだ」
鴉を見据えて晴明が静かに問う。
『なに、しばらくご無沙汰していたのでな……ただの挨拶よ。気に入ってくれたか』
「お主、酒呑に何をした?」
『面白かったろう?そなたの気に入る趣向を考えるのに苦労した……苦労したぞ』
ざわざわと木立が揺れる。靄が渦巻く中、鴉は微動だにせず晴明を見つめている。
「……晴明」
「しっ!」
鴉がゆっくりと首を巡らす。
『そこにおるのは誰だ?……式使いでは、ないな』
「酒呑に何をしたのだ?答えろ、道満!」
晴明が声を張り上げた。
『ただの、ヒトか……ただのヒトが、なぜここに居る?』
晴明の問いには答えず、呟きのように声が洩れる。――低い声に微かに滲む苛立ち。
うっそりと鴉が羽を広げた。
『なぜここに居るのだッ!』
怒声と同時に。
ばきばきと音を立てて鴉の周囲の木の枝が折れていく。目に見えない巨人の手で倒されてでもいるかのように、めきりと大木の幹が裂ける。
「博雅っ」
明らかに博雅を狙って次々に大木が倒れこんでくる。
晴明が博雅の手を引いて駆け出した。風を切って飛んで来る枝が顔や手を打つ。
生温いものが頬に伝うのを感じたが、それを拭う暇もない。印を結ぶ余裕もなく逃げ惑うのが精一杯。
「ぐッ」
人の腕ほどもある太い枝に背中を打たれて、博雅が前にのめった。
「博雅ッ!」
倒れこむ博雅を晴明が引き寄せた。胸に抱きこんで屈み込む。その背を掠めた枝が、ざくりと地面に突き刺さった。
ざん!ざく!と音を立てて、次々と周囲に枝が突き立っていく。
と、不意に空気が変わる。しじまが辺りをつつんだ。
――なぜ、そんな者を、庇う。
流れてくる声に二人が顔を上げる。
最初のコメントを投稿しよう!