20人が本棚に入れています
本棚に追加
周囲の地面に突き立った無数の枝。無残に折れて散らばった木々の間に、ただ一本残った松……その枝にとまった鴉。
――つまらん……つまらない。
低い呟きと共に鴉の身体がゆっくりと薄れて行く。
――そんなお主は……つまらない、ぞ。
「待て!道満ッ!」
立ち上がった晴明が叫ぶ。しかし応えはない。
風に流れる靄の中……陰陽師の気配はもうどこにもなかった。
朝日が木立の中に射しこんでくる。小鳥たちのかわす声が遠くから聞こえてきた。
「……晴明」
立ち尽くす晴明の後ろから博雅がそっと声をかける。ゆっくりと振り向いた晴明の唇に苦い笑みが浮かんだ。
「酷い目に合わせたな……すまない」
「お前が謝ることはない。そっちの方がひどい傷だ……俺を庇うから……」
鳶色の瞳が曇る。
「大事無い」
ふっと笑った晴明が顔をしかめて頬に指をやった。
「てて……笑うと痛むな」
頬に走った傷をなぞる指に博雅の指が触れる。
「手も、傷だらけだ」
そう呟いて、博雅が晴明の手を取る。顔が伏せられて――唇がその掌の傷にそっと落とされた。
「……な」
驚いた晴明が目を見開く。
「……こうした方が治りが早いと言ってたから……」
違うのか?、と戸惑った博雅が顔を上げる。
陰陽師でなければ効果はない。でもその気持ちが嬉しくて晴明が微笑む。
「ここは?」
額の切り傷を指で指す。顔を寄せた博雅の唇が触れる。
「ここも」
頬の傷に唇が捺される。舌先が傷をそっとなぞった。
「……ここ」
晴明が切れた唇を指した。
さすがに躊躇った博雅の目元にうっすらと朱が刷かれる。
「……」
晴明の瞳に促されるように、その肩に手を置いて博雅の顔が寄せられる。
それを迎えようと晴明の唇が薄く開かれた。
「そろそろ帰るぞ~」
突然背後からかけられた声に博雅が飛び上がる。真っ赤になって慌てて晴明から離れた。
「……保憲殿」
かろうじて残っていた楓の木に寄りかかった保憲が笑っている。
険悪な晴明の顔を歯牙にもかけずに、足元に散った枝を避けながら歩いてきた。
「派手にやったなぁ……逃がしたのか」
それは問いではなく確認。無言で晴明が頷く。
そっか、と保憲が空を仰いだ。
最初のコメントを投稿しよう!