第5章

7/8
前へ
/39ページ
次へ
周囲の地面に突き立った無数の枝。無残に折れて散らばった木々の間に、ただ一本残った松……その枝にとまった鴉。 ――つまらん……つまらない。 低い呟きと共に鴉の身体がゆっくりと薄れて行く。 ――そんなお主は……つまらない、ぞ。 「待て!道満ッ!」 立ち上がった晴明が叫ぶ。しかし応えはない。 風に流れる靄の中……陰陽師の気配はもうどこにもなかった。 朝日が木立の中に射しこんでくる。小鳥たちのかわす声が遠くから聞こえてきた。 「……晴明」 立ち尽くす晴明の後ろから博雅がそっと声をかける。ゆっくりと振り向いた晴明の唇に苦い笑みが浮かんだ。 「酷い目に合わせたな……すまない」 「お前が謝ることはない。そっちの方がひどい傷だ……俺を庇うから……」 鳶色の瞳が曇る。 「大事無い」 ふっと笑った晴明が顔をしかめて頬に指をやった。 「てて……笑うと痛むな」 頬に走った傷をなぞる指に博雅の指が触れる。 「手も、傷だらけだ」 そう呟いて、博雅が晴明の手を取る。顔が伏せられて――唇がその掌の傷にそっと落とされた。 「……な」 驚いた晴明が目を見開く。 「……こうした方が治りが早いと言ってたから……」 違うのか?、と戸惑った博雅が顔を上げる。 陰陽師でなければ効果はない。でもその気持ちが嬉しくて晴明が微笑む。 「ここは?」 額の切り傷を指で指す。顔を寄せた博雅の唇が触れる。 「ここも」 頬の傷に唇が捺される。舌先が傷をそっとなぞった。 「……ここ」 晴明が切れた唇を指した。 さすがに躊躇った博雅の目元にうっすらと朱が刷かれる。 「……」 晴明の瞳に促されるように、その肩に手を置いて博雅の顔が寄せられる。 それを迎えようと晴明の唇が薄く開かれた。 「そろそろ帰るぞ~」 突然背後からかけられた声に博雅が飛び上がる。真っ赤になって慌てて晴明から離れた。 「……保憲殿」 かろうじて残っていた楓の木に寄りかかった保憲が笑っている。 険悪な晴明の顔を歯牙にもかけずに、足元に散った枝を避けながら歩いてきた。 「派手にやったなぁ……逃がしたのか」 それは問いではなく確認。無言で晴明が頷く。 そっか、と保憲が空を仰いだ。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加