第1章

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「忘れてもらっては困るが、俺は宮仕えの身……何をするにも主上(おかみ)や陰陽寮の許可がいるのだぞ」 いつもはそんな事は無視しているくせに。 こういう時ばかりと、博雅が憮然とした顔で呟いた。 不意に立ち止まった晴明の背中に、前を見ていなかった博雅がぶつかる。 「そうさな……助けてやらぬでもない」 「本当か」 ぶつかった鼻を押さえながら博雅が訊ねる。 「博雅、お主が頼むのなら」 「……俺、が?」 背を向けたままの晴明に博雅が急いで言う。 「ならば頼む、晴明」 「報酬は?」 「報酬?」 肩越しに問われて博雅が戸惑った。 「いかにお主の頼みでも、ただ働きはできぬなぁ」 くるりと振り向いた晴明の笏が博雅の頬にあてられて、ぐいと顔を引き寄せられた。 「何をくれる?……博雅?」 近々と寄せられた黒い瞳に、鳶色の瞳が揺れる。 「なに、と言われても……」 なぜか声が喉に引っかかり、訳もなく視線が泳ぐ。不意に唇に笏をあてられて、博雅が息を呑んだ。 「何、にするかな」 自分の唇をゆっくりとなぞる笏の動きを、視線で追う。 喉がこくりと鳴った。 「晴明!何をしておる!」 廊下の向こうから声がかかった。 「主上がお待ちだぞ!」 「中納言殿……」 ち、と呟いた晴明が博雅から身を離した。博雅の唇からほっとため息が零れる。 つかつかと歩み寄ってきた藤原兼家(かねいえ)がじろりと晴明を見上げた。 「道草を食っとらんで早く来い。そなたも黙って遊ばれておるなよ」 後の方の言葉を博雅に向かって言うと、兼家は忙しそうに早足で戻っていった。 「あそばれて?」 口の中で繰り返す博雅を横目で見た晴明は、ひとつ肩を竦めると兼家の後を追った。 主上のおわす大極殿。御簾の前の広縁に召された晴明が平伏する。脇に並んだ貴族達がなにやら低く囁きあう。 「先に依頼した酒呑童子とやらの住処の件、場所は分かったか?」 御簾の前に控えた右大臣藤原師輔(もろすけ)が晴明に尋ねた。 「はい、占いによれば盗賊どもの本拠地は都の西北、大江山にございます」 隅で控えていた博雅がはっと顔を上げた。 ……帝から既に依頼されていたのか……じゃあさっきのあれは、やっぱり。 「……あそばれていたのか?」 思わず声に出した博雅を、隣に控えていた公達が怪訝な顔で見た。
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