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俺はそっと煙草を消し、缶詰めも拾い上げる。
そこへ通り掛かった若男が子猫目掛けてタバコを投げ捨てた。
「おいっ」
思考より先に一声を浴びせていた。
子猫は飛び上がり直撃こそしなかったが足裏が無防備な猫なら肉球を焼きかねない。
「彼女の行為が見えないのか」
若男は辟易(ヘキエキ)とした面様を曝しながらも若女の活動と睥睨を向ける男に抗えずタバコを拾い上げる。
本来は子猫への仕打ちに声を荒げた筈だったが猫に感けていると恥辱を受ける思いで憚った。
若女はこちらの応酬を見ていたようで遠くで一礼を贈る。
他者から礼を受けるなど久しく忘れていた感覚、彼女の姿は俺にはあまりに眩すぎた。
まだこの世界にも、あのような美しい人がいたのか。
世界の人々が悉(コトゴト)く彼女のように道徳を得ているならば、世界は醜悪に身を染めることもなかったろう。
そうであれば戦士も必要ではなくなるのか。
時は刻み黄昏時、客足も途絶え粛とした店内に凡そ着信のベルのみが清々と鳴り響く。
閉店間際のカフェの片隅で俺は再度の試験に挑まんとしていた。
「頭は冷えたか?
では改めて君の返答を聞こう。」
相も変わらず荘厳なるその声音はいつにもまして威圧的だ。
答えを間違えるなとそう犇(ヒシ)と伝わる。
「今回の依頼だが… 遠慮させて貰う」
「それが君の出した結論か」
「そうだ。
あんたは俺の上司じゃない、あくまで依頼人であり俺は諾否(ダクヒ)を選ぶ権利がある。
悪いが他の奴に当たってくれ」
初めて反抗心を露にした。
先の事などまるで考えもなし、平静を偽ってその実、頭の中はひっちゃかめっちゃか。
常に冷静で冷酷であれ、その信念は今や邪念によってかき乱される。
俺の中にある歯車の一番小さいのに異物が混入したような、それでも無理矢理動かそうとするからギシギシと全体が軋み、今にも壊れそう。
「そうするとしよう、丁度次の標的も決まった。
今までご苦労だったな」
言い残して通話は切れた。
なにか犯しては行けない重罪を仕出かしてしまったような思いに囚われたが、不思議と気分は晴れやかであった。
閉店により店を後にし空を見上げれば、そこな覆いけるは瞑氛(メイフン)が漸次(ゼンジ)町を闇に染めんとし、この町の本性を露に倩(セン)とする。
陽の下を苦としていた俺でさえその変質は一抹の不安を抱えた。
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