震える指先

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 規則正しい彼の寝息に耳を傾けながら、癖のある黒髪にそっと指を差し入れる。  少し硬めの感触が、掌を愉しませる。  昨日は本当に驚かされた。  普段は穏やかな性格なのに、彼は時折、思いもよらない悪戯心を発揮した。  呑気な寝顔を見せている彼の耳を少し引っ張って、こっそりもう一度、抗議しておく。   彼と暮らす様になって、数か月。  私が彼に与えられる物は、もう何もない。  そして、何も与えないまま、私は既に欲しい物を手に入れていた。  彼の元を去らずにいるのは自責の念、あるいは、芽生え始めた本能からか。  カレンダーの薄紙の上では、赤い衣装に身を包んだ老人が微笑んでいる。  真っ白なあごひげを蓄えたその人物は、起源となった聖ニコラウスの来歴からは遠ざかって、北欧出身とされている。  私と同郷だと微笑む彼に、こちらも思わず頬が緩んだ。  その穏やかな在り方に、私は安らぎを見出している。  仕事に向かう彼を見送って、私も出掛ける用意をした。  部屋を出る時に、あのカレンダーをマンションのゴミ捨て場にそっと置き去りにする。  日差しに緩み始めた朝の空気に乗って、少し離れた商店街から漂ってくるクリスマスソング。  この島国の冬は、湿気混じりの涼風が肌に優しく感じられた。  図書館に返却する本を小脇に抱えると、私は坂道を下り始めた。
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