第1章

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顔と名前は知っているけれど一度も話したことがない。 遠くから見掛けたことがあるだけで話したこともないその人を前に、面識がある二人とは違って私の身体が緊張で固まる。 「ご無沙汰してます!お陰様で元気でやってます。川瀬さんも元気そうですねぇ。来るなんて知らなかったからびっくりしましたよ!」 「あはは。俺は相変わらずだよ。俺が来ること、深海は黙ってたんだなぁ。」 「あ、川瀬さん座ってください。ビールでいいですか?」 「おう。悪いな。深海、俺はサプライズだったのか?」 川瀬課長は深海さんと遥さんと会話しながら空いている私の隣に座って来た。 先程から緊張で口を開けなくなってしまった私に視線を向けると、慣れた手付きでネクタイに指を掛け、クイッと少し緩めている。 これって…女性が好きな仕草だとかって雑誌に書いてあったなぁ…。 話したこともない川瀬課長と視線を合わせられなくて、何となく手の動きを見つめてしまっていた。 「えっと、深海の後輩の…志築さん、だっけ?喋るの初めてだね。」 いきなり名前を呼ばれ、自分のことを知られていたことに驚き、ピクッと身体を震わせてしまった。 ぁ…当たり前か…この人、人事部だものね…。 慌てて目線を上げると…僅かに目元を緩めて話し掛けてきた川瀬課長は、会社で見掛けた時よりも柔らかい雰囲気を醸し出している。 「…ぁ…初め、まして…志築梢です…。」 簡単な挨拶と共にペコリと頭を下げた。 すると川瀬課長は束の間近い距離から此方を見つめて来て、ニコッと笑うと口を開いた。 「へぇ~、こんな可愛い顔してたの?何で隠してんのさ。勿体ないよ?“貞子”ちゃん。」 その言葉でハッと気付き、慌てて両手で顔を覆った。 しまった!忘れてたぁ…!! 深海さんと遥さんと三人で会う時はいつも伊達眼鏡を外し、前髪を上げてバレッタで止めていたことを忘れていたのだ。 これは遥さんに『何で顔隠すの?梢の目を見て話したいから、次から私と会う時は髪を上げてよ!』と以前言われたからで…。 その時に『何故隠しているんだ?』と二人に追及され、仕方なく暗い過去を明かすと、 『そっか。じゃあ俺たちと三人でいる時だけ前髪上げろよ』と深海さんが言い、翌月の約束の時からは個室を予約してくれるようになったんだ。
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