第1章

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それでも納得いかないのか主任は自分の髪をくしゃくしゃとした後、眉間に皺を寄せたまま此方に視線を向けてきて、 「お前だって自分の仕事抱えてんだからな?まぁ今急ぎはない筈だから大丈夫だろうけど。なんかあったら直ぐ言えよ?」 と私の肩をポンッと叩き、元の位置に戻ろうとする。 「ありがとうございます。いつも気遣ってもらって感謝してます。」 「バカ。当たり前だ。」 私の言葉を聞いて少し照れ臭そうにそう言いながら仕事に戻る主任に、私の口元が僅かに緩む。 この会社の中で唯一、素に近い自分を見せられる人。 入社した私の指導係になり仕事のノウハウだけでなく、社会人としての心構えやこの会社で生き抜く術を教えてくれた人。 研修期間を終えて一人立ちした後はアシスタントして一人前に育ててくれた。 単なる職場の後輩としてだけではなく、人付き合いが苦手な私の性格を見抜き、公私共に面倒を見てくれるとても頼りになる人だ。 そして私のこの見掛けを全然気にも止めず、普通に接してくれる貴重な人でもある。 主任以外の人たちは私を奇妙なものを見る眼で視界に入れるのに…。 それはこの部署の人だけでなく他部署の人たちも同じで、みんな影で私のことを“貞子”と呼んでいるのは知っている。 それは私の見たままを表した呼び名だ。 一度も染めたことのない真っ黒なストレートロングの髪。 そんな後ろ姿の人はたくさんいるだろうけれど、私の場合は正面が最悪だということだ。 化粧っ気のない顔に黒縁の眼鏡、そしてその眼鏡がスッポリ隠れる長さまである前髪。 即ち、私の顔の上半分は隠れているのだ。 その前髪の隙間からたまに目が見えて視線が合うと、背筋が寒くなるくらい怖いらしい。 おかげで老若男女、誰も寄り付かない。 それが狙いなのだから私に取っては願ってもないことだ。 出来ればマスクで下半分も隠したいところだけど、そこまですると警察に職務質問されそうなのでやめている。 顔は出来るだけ晒したくない…。 みんなの視界から消えてひっそりと暮らしたい…。 大学時代の嫌な経験が私をこの行動に走らせた。 そしてその経験を機に服装も地味な物にした。 大学入学当初は周りの雰囲気もあり、ファッション雑誌を見て買い物をしてそれなりにお洒落を楽しんでいたけれど、 良いことなんか何もないとわかってからは、専ら流行も追わずモノトーン系で纏めている。
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