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さいてい、と言いながらわたしの横に座り込んだ背の高い影。わたしはせいぜい笑うことにしよう。
「ねぇ、ねぇ、そんなこと言うものじゃあないよ。今夜はうつくしくて、良い夜だよ」
「うつくしさでなにが出来るって言うんだ」
ざあざあ。ほんの一瞬の沈黙。ノイズと、波の音。
「さぁね。わたしはわからないや」
空を見上げる。満天の星。静かに呼吸をしたら、夜に溶けそうで、とてもいい気分になった。わたしの隣に座った影はまた立ち上がって、大きな鞄からなにやら器械を取り出す。
「なにを、やってるの」
「天体望遠鏡。星を見るの」
「へぇ、そうなの。すごいね」
うふふ、笑ってみる。わたしは母にそっくりで、母はとてもうつくしい人なので、わたしはとてもうつくしい。声から、顔の輪郭から、指先から、わたしはきっと母にそっくりなのだ。父からは、遺伝子を分けてもらえなかったのだろうか。
母から受け継いだ夜空より濃い黒い髪が潮風に曝されてどんどん絡まっていく。
「……見る?」
「わたし、天体観測なんて、したことないのだけど」
「別に覗くだけだよ。星はそこにあるから」
「そう……」
散々に凍えた足でわたしは立ち上がる。死体のように冷たい足で氷のようなコンクリートを踏みしめてわたしは、
ああ、ええと、忘れてしまった。きっとうつくしい夜を見たかったのだ。
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