卑しい赤い花が咲きました。

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「それならいい」 それきり、部長はふっつりと黙り込む。絵の具を混ぜて、カンバスに擦り付ける音だけが部室に響く。明日は、なにか本でも持ってこよう。髪に染み付きそうな絵の具の臭いを吸い込んで、私は普段よりほんのすこし深く、物思いにふける。          * 「浪上さん、帰りましょう」 つん、と髪をひと房、痛くない程度に引かれる。寂しい猫がかまって欲しいと訴えるときのような仕草だ、と思いながら私はうつ伏せになっていたテーブルから起き上がる。横にあったはずのティーカップはなくなっている。 「……ティーカップ」 「あたしが洗ってしまったわ。怒った?」 「ううん。ありがとう」 外は薄暗い。美術部部室にはもう私と七月さん以外には誰もいなかった。七月さんがするすると私の髪をいじっているのをそのままに歩き出す。下校時間の十分前だった。 「……よし、これでいいわね。あのね浪上さん、せっかく綺麗な髪なんだから、寝癖がついてないか確認してから歩き出してちょうだい」 「面倒だもの。ありがとう」 校門の前で七月さんと別れる。七月さんは黒塗りの車に乗って帰るのだという。運転手は私をちらりと侮蔑の目で見て、七月さんを慇懃に軽蔑した目で見た。七月さんはわかっているはずなのにそれを空気のように無視した。きっと日常茶飯事なのだろう。斯く言う私だって、そんな目で見られるのは日常茶飯事なので、いつものように無視するだけだった。 「それではごきげんよう、浪上さん。また明日、お会いしてちょうだいね」 「ええ。さようなら」 車はエンジン音を微かに唸らせて走り出す。角を曲がって車が見えなくなってから、私も帰路につく。
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