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それはある雨の日であった。僕は縁側からぼんやりと庭を見るともなく見ていた。ぽつぽつと雨雫が葉を打つ音が耳に心地良い。薄暗い空と肌寒い空気に静かに包まれていた。
かさりと庭の繁みから葉のこすれる音が聞こえてきた。何とはなしにそちらへ視線を向けると小さな猫がちょこんと顔を出していた。
そこにいるのは寒かろうに。
そう思い腰を上げると、立てかけてあった唐傘に手を伸ばした。
――今思えば僕は何故そのような情け心を出してしまったのだろうか。この気まぐれが僕の人生を大きく変えると分かっていたら、雨空の下へ出ていくことはなかったであろうに。
いや、今更そのようなことをとやかく言っても仕方がない。何はともあれ僕はその猫に導かれるように草履を引っかけた。
猫を怯えさせないようにゆっくりと近寄る。歩を進めるたびに雨水で絣かすりの着物の裾が少しずつ濡れていく。猫は警戒するようにじっとこちらを見つめていた。
3尺ほどまで近づいたところで、猫はするりと繁みの中に引っ込んでしまった。
ああ、逃げられてしまった。
少し残念に思い、猫がいるであろう繁みをしょんぼりと眺め続けた。
しばらく雨の中で立ち続けていると、ひょっこりと繁みの反対側から顔を出していた。じっとこちらを見つめている。
おや、どうしたのだろう。警戒されるというより興味を持たれているかのようだ。どうするのだろうと少し好奇心を刺激された。
猫はしばらく僕と眼を合わせていたと思うと、ふいっと目をそらしてたたっと走っていった。
完全に逃げられてしまったようだ。せめて姿が見えなくなるまで見ていよう。
そう思い、その背を目で追いかけていると、猫が不意に足を止めこちらを振り向いた。まるで着いて来いと訴えられているように思えて、目の前の繁みをがさりとかき分けた。
誘いざなわれるように2、3歩近づくと、猫はまた逃げていく。
やはり人間が怖いのだろう。そう内心で苦笑して見送ろうとした。
しかし僕が足を止めたことに気づいたのか、猫はまたこちらを振り向いた。
近づけば逃げていき、止まれば催促するようにこちらを振り返る。そうして猫は僕をどこかへと誘っていったのだ。
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