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あー、うるさい。
今日もお隣さんは賑やかだ。
その音を聞きつけて、誰に聞かせるでもない溜め息と咳払いをひとつずつ。
バルコニーに立つと緩やかな風が前髪を浚って、冷たい空気が額を撫でた。
風は素知らぬ顔でお隣のバルコニーも、隣接した僕の部屋のバルコニーも素通りしていく。
そこに目があったなら、きっとお隣の部屋の中の様子をチラ見して、しれっと佇む僕の顔を見比べて、ふぅんと鼻を鳴らしたりなんかしているに違いないのに。
「……」
そろそろかなと、時間を確認しようとして「あ」と
。腕時計をしていないことに気付く。
さっきシャワーを浴びたときに外したんだった。今日は朝からずっと外回りで冬だっていうのに汗もかいたし、何より社内には風邪が蔓延してるから、手洗いうがいより全身を洗った方が手っ取り早い。
「疲れた」
やっと一日が終わる。そして、日付が変わってまた今日が始まる。
「もう、イヤだ…」
意図は違えど、僕の内心を代弁したようなテンプレートが完成した。
最後の「イヤだ」は僕から発せられたものじゃない。
“そろそろ”は大正解。お隣さんは嘘のように静かになって、バルコニーには夜らしい静寂が訪れている。
何かが倒れる震動もガラスの割れる音もヒステリックな女の声も、何も聞こえなくなった。
いつものことだ。
そうして、そんな静寂の目を盗んで小さな小さな気配が風に乗って、僕のいる場所まで運ばれてくる。
これも、いつものこと。
「もうやだ……」
誰に聞かせるでもない弱音を僕の耳は確かに捉えて、腰よりやや高めのバルコニーに足を掛けた。
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