①シノザワ ソウスケ

2/10
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
あー、うるさい。 今日もお隣さんは賑やかだ。 その音を聞きつけて、誰に聞かせるでもない溜め息と咳払いをひとつずつ。 バルコニーに立つと緩やかな風が前髪を浚って、冷たい空気が額を撫でた。 風は素知らぬ顔でお隣のバルコニーも、隣接した僕の部屋のバルコニーも素通りしていく。 そこに目があったなら、きっとお隣の部屋の中の様子をチラ見して、しれっと佇む僕の顔を見比べて、ふぅんと鼻を鳴らしたりなんかしているに違いないのに。 「……」 そろそろかなと、時間を確認しようとして「あ」と 。腕時計をしていないことに気付く。 さっきシャワーを浴びたときに外したんだった。今日は朝からずっと外回りで冬だっていうのに汗もかいたし、何より社内には風邪が蔓延してるから、手洗いうがいより全身を洗った方が手っ取り早い。 「疲れた」 やっと一日が終わる。そして、日付が変わってまた今日が始まる。 「もう、イヤだ…」 意図は違えど、僕の内心を代弁したようなテンプレートが完成した。 最後の「イヤだ」は僕から発せられたものじゃない。 “そろそろ”は大正解。お隣さんは嘘のように静かになって、バルコニーには夜らしい静寂が訪れている。 何かが倒れる震動もガラスの割れる音もヒステリックな女の声も、何も聞こえなくなった。 いつものことだ。 そうして、そんな静寂の目を盗んで小さな小さな気配が風に乗って、僕のいる場所まで運ばれてくる。 これも、いつものこと。 「もうやだ……」 誰に聞かせるでもない弱音を僕の耳は確かに捉えて、腰よりやや高めのバルコニーに足を掛けた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!