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「あぁ!思い出した。おまえ、うちの妹の猫だろ?」
きりっと小さく胸が絞られる。
大まかな記憶は消去されているはずだが、こんなに早く、思い出すものなのか?
意外と、別れは近いのかもしれない。
死の淵にある僅かな灯りに一縷の望みを託し、計り知れない時の中で祈った。そして今、あなたが目覚めるという望みが叶った。
あなたが人生という試練に向かい合おうとする時まで、私は側で見守ることができる。これは私があなたにかけた呪いだ。自ら死を選んだあなたを全身全霊でこちらに引き止めたのは私だ。
「そうだ。真っ黒な毛だから名前は『夜(よる)』」
この調子で思い出せば、一緒に居られるのは数ヶ月、数週間、数日…。
思い出して。思い出さなくていい。
今度こそあなたの人生を生きて欲しい。ただそばにいられればいい。
迷いは波のように寄せては返す。
「にゃぁ」
自分の喉から吐き出された声は、まるっきり猫のそれだった。思いの外甘えが滲んでいて、私は恥じた。男は満足気にこちらを見て微笑んでいる。いや、私を見ているのではない。彼は私を通して妹君の静(しず)を見ている。
「さっさと服を着なさい。箪笥にいくらか入っている。いつまでそんな格好でいるつもりだ」
無愛想な私の言葉に素直に従い、猫が歩くように膝と手をついて箪笥に向かう。適当な服を探り出して、洗い晒しの白いシャツに擦り切れたデニムを身につけた。
その辺の若者と同じ格好でも、程よく厚みがあり背の高い彼にはよく似合っている。着物以外のものを着る彼の姿を初めて見たのだけれど。
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