千の夜を越える猫

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一週間過ぎても正孝が職安へ足を向けることはなかった。 同じアパートに住むおばちゃんやお姉さんが、顔と愛想だけはいい彼のもとに『おすそ分け』と称して煮物やお菓子、田舎から大量に送られてきたという野菜を持ってきてくれるのだ。 私も魂だけが彷徨っていたころとは違い生身の体なので、仕方なく頂いたかまぼこを齧る。 「食べ物は何とかなっても、もうすぐ家賃や電気代の支払いがあるぞ」 タッパーに直接箸をつける正孝に向かって、深い苛立ちを隠して言った。 いつまでこんなことを続けるつもりだ。やっとのことで生きる希望が見え、自分の気ばかりが急いているのはわかっている。それでも、何ひとつ変わらない正孝に日々不満が募っていく。 「だよなー。わかってるんだけど、どうも何をしていいのか」 「だからとりあえずでも仕事紹介してくれるところに行けってって言ってるんだ」 「以前の俺はどうやって生きていたのかな。何もできる気がしないし。何をしたいのかもわからない。いざとなったら体を売るくらいしか…」 瞬間、血が湧き上がるようなとてつもない感情が吹き出した。それは、怒りだ。 「はっ?!何かをしようともしていないうちから何言ってんだっ?!何のために!!何のために私は…」 涙が溢れそうだった。猫なので涙は出ない。抑えきれない感情に皮膚が泡立ち、毛が逆立つ。 「何のために私は何百年もおまえのために…、おまえのために、たったひとりで祈ったんだっ!!正孝に、自分の人生を生きて欲しかった。そんな適当な生き方をするためじゃないっ」 「俺は頼んでいない」 静かな声だった。 「俺は死んだんだろう。それが運命だった。自分の運命に逆らって、やり直したいとは思わない」 凪のように落ち着いた正孝を見て、全てが崩れ落ちて行く心地がした。
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