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ふるふるっと頭を振った美羽は、気を取り直し、大好きなピアノに再び向かった。
練習に熱が入り、ショパンのエチュードから、バラードへ、と移っていった頃、リビングのサイドボードの上に据えられている電話が鳴った。
美羽は、指を止め、立ち上がった。
ファックス付きの白い電話機が、何とはなしに、母に見えた。
ディスプレイを見た訳だはないのに、掛けてきた相手が予測できてしまった。
呼び出し音がヒステリックに鳴っているようにも聞こえ、美羽は慌てて電話を取った。
「美羽! 今日は私ちょっと遅くなるのよ!
晩御飯の支度お願いね!
ちゃんとやってちょうだいね!」
美羽の返答も聞かず、電話は一方的に、切れた。
予想通り、母の奈緒だった。
相も変わらず、固い棘のある声。
「ちゃんとやってちょうだい」という言葉は鋭い刃のように美羽の胸を抉った。
奈緒の言葉はいつも、一言一句、美羽の心を突き刺すような力を持っていた。
「やらなかったことなんて、ないのに……」
そう呟いた美羽は、開け放っていた南側の大きな窓に目をやった。
夕暮れ間近の柔らかな暖色の光が、優しい秋風に揺れる白いカーテンの影を床に描いていた。
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