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「印象派、といわれるドビュッシーの特徴的な流麗な美しい和声です。これは――」
そう話しながら五線譜黒板に移動した黛は分かりやすく説明を始めていた。
窓際の席に座る美羽は、講義の声を聞きながら頬杖をつき、ぼんやりと窓の外を見ていた。
4階の講義室の窓からは遠くの山々の稜線が見えていた。
二日前の台風が過ぎ去った後、秋がぐっと深まった。
澄んだ空気は山並みを美しく見せる。
遠い山の頂が紅葉に染まる気配を感じさせているのが見えていた。
教壇に立つ黛の、低く柔らかな、落ち着いた声は、どこか忍を思わせた。
その声を聞くうちに、美羽の意識は二日前の夜にとんでいく。
あの嵐の夜の記憶の中に。
あの夜美羽は、雨と風の中で、忍の声を聞いた気がした。
――美羽は、俺の為に生きるんだ。
あれは、薄れゆく意識が聞かせた幻か。
美羽は、胸を締めつけるあの夜の記憶に、顔を苦しげにしかめた。
忘れたくとも忘れられない。
兄の感触が、美羽の躰の隅々まで、まるで少し前まで触れていたかのように残り、蘇る。
苦しい、心がそう叫び、美羽が両手で顔を覆った時だった。
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